老いが消えたか、時が消えたか?

先日、
僕の尊敬すべきバンドである
Garbageが7年ぶりに
アルバムを発表した事を
記事に書きました。
ちょうど1ヶ月前くらいでしょうか。
マドンナも4年ぶりのアルバムを
リリースしました。
そんな彼らを見ててふと思ったのですが、
Garbageのメンバーにしろ
そのボーカルのシャーリー・マンソンも然り、
マドンナにしろ、
はっきり言って
いい歳です。
間違いなくオッサン、オバサンです。
なのに年齢を感じません。
みんな、昔からあんな感じです。
そう考えつつ
ちょっとTVをつけて見てみると、
10年20年というレベルで
昔から変わらずに
同じようなことを
同じ人が今でもやっているのです。
10年と言えば
生まれた子に
すでに自我というか
主体性みたいなものが
備わるのに充分な期間だし、
さらに20年ともなれば
生まれた赤ん坊が
咎められずにお酒を飲めるようになるまでの
大きな時間の幅ですよね。
独立する人だっているでしょう。
昔から変わらない人というのは
進歩や成長が無いのだと言われれば
そういう事なのかも知れませんが、
どうも
そういう次元の話じゃない気がしてなりません。
考えてみれば
僕がネットで自分の楽曲を
配信するようになって
もう10年になるんですよ。
もちろん僕も10年もやっていた
という意識は全くありません。
そういえば10年か、くらいの気持ち。
この10年という期間は
つい最近の事なのです。
歳をとると
実際に時間の流れが速く感じるとは
学術的にも示唆されている事らしいのですが、
これもまた
そういう意味合いで
10年前が最近の事に感じる
というわけでもなさそう。
まあ確かに
僕の人生と言うのは、
階層社会を出世していく道筋から
外れた人生だから
それが顕著なだけなのかもしれないのですが、
僕が歳をとって
僕だけが個人的に
時間の流れが速く感じているのなら、
僕だけが個人的に
何も変わらないのなら
歳のせいにできる話ではあります。
けれど僕の知っている周り人たちも
そしてTVに出てくるような人たちも
10年20年という年月を
重ねてきたというより、
10年20年前でそのまま固定されて
時間を越えてきたような
そんな人ばかりです。
日本のミュージシャンでも
20年以上
普通に一線でやっている人、
ごろごろいますよね。
目先を変えて
老化した肉体では勤まらない
プロスポーツの世界でもやはり
10年以上前、
下手をすれば
20年近くも前からいるような人が
いまでも一線の現役だったりします。
この不思議な現状を言い表すなら、
それはまるで
時間が止まった、もしくは
時間が無くなった。
そんな感覚。
事実、朝になれば日は昇り
夜になれば日は沈む。
日の出の24時間後には
また新しい日が昇る。
それは確かに紛れもない事実です。
けれど
体験する現実は
そうした時間や暦の周期から外れて、
止まった時間の中で
日常のルーティンワークを基軸にして
常に何かしらの出来事が
雲のように沸き上がってきては
過ぎ去っての繰り返しが
淡々と続いているのみのような。
確かに数年前から
時間が経つのが早いなとは
薄々感じてはいたのですが、
それが極まってここ最近は
最終的に止まってしまったように思えるのです。
何なんでしょう、この感覚。
外的な事実上の時間は日々
進んではいくけれど、
内的な形而上の時間は
もう無くなってしまったのかもしれない、
そう思いたくもなります。
というか、
生きるうえでの「体験」を軸に考えれば、
そもそも
時間の概念は
必要ないのかもしれないのですが。
「時間の概念」は
人類の偉大な発明と言う人もいるくらいですし、
別に無くなったら無いままで
大して問題ないのかもしれないですね。
あ、でも
約束の時間は守りましょう。