シックスセンスを磨け!

第六感。
人に備わる五感に加えた
第六の感覚。
オカルト的な分野で使われる事が多いですが、
今回のお話は
そんなオカルトではない
別の意味での第六感についての事。
まず人の持つ五感について
改めておさらいしておきますと、
視覚(目)
嗅覚(鼻)
聴覚(耳)
味覚(舌)
触覚(手)
の五つが人の五感と呼ばれるものです。
昔、シックスセンスって映画がありましたが
第六感というと
さまよう亡霊が見えるとか、
未来を予知するだとか、
大抵は霊感めいたものの事を指しますよね。
でも、そんなの人には
必要ないない・・・(笑)
それを持ったところで
人生にどんな利益をもたらすと言うのか。
そもそもそれが
人の営みに於いて
本当に必要なら、
生まれたときから普通に
誰でも持っているはずです。
ほとんどの人が
その第六の感覚を持っていないという事は、
そんな感覚は必要ないのでしょう。
奇異なるものは
自然の摂理にあらず。
生ある事こそ真の奇跡と知れ。
しかしです。
実のところ人には本来、
第六感が備わっているのです。
もちろん、霊感めいた
まがまがしくも、いかがわしい
意味合いでの感覚ではないです。
その、人の六番目の感覚とは
人の五感を統合し得る
「心」という感覚。
もし霊感などというものがあると
言い張る人がいるとすれば
それはもしかすると、
この六番目の感覚を
間違って使っているのかも知れません。
「心」とは「頭脳」とは違います。
頭脳で処理出来る
理性的、論理的な判断を越えた
さらにその奥にある
人の内的世界を
本能的に知覚する感覚器官です。
好きとか嫌いとか、
心地良いとか悪いとか、
○○な感じがするとか、
○○な気がするとか、
そういう心象を
一元的に統合する感覚の事。
つまり人がものを感知するセンサーとして、
目、鼻、耳、舌、手の五つに加えて
心、ないし感受性という器官がある
という事なのです。
この心という器官があるから
人は人間らしくいられるのですが、
この器官を否定し
麻痺させてしまっている人が多いのも事実です。
いわゆる想像力というものは
この心の器官を駆使しないと働きません。
なので当然、
心無くして
他人が何を求めているのか、
他人がどういう気持ちでいるのかといった
気遣い、思い遣りという感覚も
沸き上がらないのです。
ただ単に五感だけを使うだけなら
今どき、コンピュータやロボットにもできます。
それでもなお
機械と人が決定的に違うのは
「心」の有無なのです。
コンピュータのプログラムは
人の心を真似出来ても、
自発的、自律的に
『無から有を生みだして』
感動し、歓ぶ事は絶対にできません。
まして
芸術に魂を震わせる事も無ければ、
恋に堕ちて
人を愛し、恋い慕うなどという
芸当など到底できません。
人が人であるのは
この第六の感覚を持っているからなのです。
人生に、より豊かな生き方を求めるのなら
この「心」という第六の感覚を
磨くべきなのではないでしょうか。
加えて出来るのなら
なおより美しく。
この六番目の感覚の存在を意識するだけで
ものの見方、価値観も変わってくると思いますし、
本当に必要なものが何であるか、
それさえ変わってくる可能性を秘めています。
それは空気のように
そこに当たり前のようにあるので
軽視されがちですが、
実は人にとって
非常に重要な感覚器官。
まあ、
芸術も恋も無用なものであると、
自ら自発的に
何も感じず、何も発しない
ロボットとして生きていきたい人には
必要の無い感覚ではありますが。