消えた感性

かつてApple社のトップ、
スティーブ・ジョブズは
日本の製品についてこう評しました。
「死んだ魚」と。
そう言われると今の日本の工業製品は
確かに便利で効率のいい
設計になっているのかもしれませんが、
気味が悪いほどに無個性です。
色気のある製品ってないですよね。
別に冷蔵庫や電子レンジに
個性もへったくれもあるか。
使えればそれでいいんだよ!
人はそう言うでしょう。
いや、実際に多くの人がそう言ったのでしょう。
その結果がこれです。
日本の会社も
技術力はあります。
市場の動向をリサーチする力だってあります。
そうした
要素、データを総合的に鑑みて
「こうすれば売れるだろう」と
導き出された答えが
「死んだ魚」のような製品だったのでしょう。
しかし、そうして生みだされた製品が
なぜ「死んだ魚」のようなのでしょうか。
理由は
そこに「人の感性」が入っていないからです。
ただ便利。それだけ。
かつてそうした「感性」を
商品の中に積極的に取り入れてきた
会社でさえ、
その「感性」も全盛期で止まったまま。
「感性」は時代と共に移ろいでゆくものである
という事に気付いていないのではないかと
訝ってしまいます。
「感性」を感じなくなった人が増えた事も
一つの要因としてあるのかもしれません。
みんな「死んだ目」をして
携帯電話の画面を見ながら
電車に揺られ、
「死んだ目」で仕事をなんとなくして、
仕事が終わって帰ってきたら
「死んだ目」をして
パソコンの画面に向かう。
これでは「感性」が死んでしまうのも
無理からぬ事と思います。
本当に人が見るべきものは
電化製品の画面じゃなくて、
顔を上げて見回すと
目に入ってくる
色々なものなのではないでしょうか。
たまには
外の風を感じよう。
夜空の星を眺めよう。
行き交う人が誰なのか
ちょっと想像してみよう。
そんな、無くても困らない
些細な物事の積み重ねが
感性を育てるのではないでしょうか。