純潔

『水清ければ魚棲まず』
という故事成語があります。
あまりに奇麗な水は
魚にとって餌になる物も無いし、
また見通しが良過ぎて
外敵に狙われやすく、
結果そこに魚は寄ってこないもの。
転じて、
あまり潔癖になると
かえって人からは敬遠されて孤独になる
という意味です。
確かにそれは真理なのだとは思います。
しかし、
整然としているより
多少雑然としていた方が
居心地が良い、
そう思うことは
僕からすれば
ただただ俗っぽい考えとしか
思えないのです。
物、作品を創る時にも
似たようなことは言われます。
作品に多少の毒があった方が
人に好まれると。
僕の創る音楽に関しても、
俗っぽい感性にすり寄るようなものは
創りたくはありません。
たとえそれが
「毒味」が無く
面白みに欠けると言われようが
そんなのは関係ありません。
一切の穢れが無い音楽が
僕の音楽。
それが誰の心にも響くことは無かろうと、
それでも「潔白」であることを
僕は貫きたいです。
正直、少なくとも
僕から見える世界に於いては、
こうした「毒」や「混沌」は要らないです。
僕が求めるものは
完全なる調和によって生成された美
そのもの。
常に清廉潔白でありたい。
この世のあらゆるものに
愛と完全なる調和をを見いだしたい。
「毒」や「穢れ」に染まるくらいなら
僕は孤独を選びます。
世俗の「あれやこれや」は
僕にとって煩わしいもの以外の何物でもないし、
それは内的世界で
実際の重力を持って
僕の心の重石になります。
もしかすると
こう言う重たいものを
「人の業」とでも言うのかもしれません。
そんな重いものは
今もこの先も
持っていたくはないです。
限りなく清らかな世界を求め、
その結果、
周りに誰もいなくなったとしても。
たとえ独りになっても
美と調和を発し、
そこに愛を見いだし
自らも混じりけの無い
純粋で普遍的で絶対的な
「愛」そのものとして
そこに存在し続けたいです。