シンプルこそが尊い

この世のあらゆることというものは
おそらくものすごくシンプルなのだと思うのです。

それを往往にして
複雑に、難しくしてしまうのは
人の性であり、また業なのでしょう。

ただ、
ここで再認識しておかなければならないのは、
そういう人の営みを難しくしているのは
「外的な誰か」ではなく、
あくまで
「内的な自分」であり、
それが各々の基軸となるが故に、
世の中全体もまた
あたかも複雑であるかのように、
自分が考える複雑さを写し出すように
難しくなっていくのでしょう。

本当は、人は
もっともっとシンプルになれるのです。
シンプルになっていいのに、
シンプルにさせないのは
自身の心がシンプルでないからであり、
それを人は知恵とか知性とか言って
崇めたてまつったりもするのですが、
そういうものは
実はどうでもいい事柄だったりするのです。

結局は、
今ここにいる「自分という存在」が
どれだけ自身の外的世界に
調和を見出せるか、
またさらに
調和を表現できるか、
その点に尽きるのだと思うのです。

おそらく、自身の心のままに生き始めると、
未熟なうちは
身勝手で独りよがりな振る舞いをするかもしれません。
けれど身勝手さというものは
どこかに不調和をきたす振る舞いであるので、
自分は外側に不調和を見ることになります。

こうやって、たくさんの間違いから学びながら
最後にもっとも自分にも他者にも
楽な生き方がなんであるのかを、
おぼろげながらにも気づくようになっていきます。

そこにある地平こそ
調和であり、またその様相は
とてもシンプルなものだったことに
思い至るのだと思います。

まず自分自身が
摂理に適ったシンプルな
内的世界感を持たなくして、
外側は何も変わりません。

なぜなら、外側、つまり
外的世界というのは
とかく調和を欠き、調和のない難しい方向へ
向かってしまう「内的指向」を持った人たちの
集合体として構成されているものであるから。

ゆえに何より
自分がまず調和を見なければならないのです。
そこを不調和なこだわりで
とどまっていたりしても、
もしかすると
自分自身が最後の不調和になりかねません。

これでは外的世界は何も動かないから、
やはり少なくとも、
自分だけはシンプルであらなければならないのだと思うのです。