メディアとしてのブログの斜陽

ブログでこういうことを書くのも
どこか矛盾した話ではあるのですが、
「ブログ」というメディアが登場して10数年。
僕もブログの草創期から
このツールを使って文章をしたためてきました。

特に僕のブログの場合、
「個人の日記」という性質を持たず、
常に一定の見識や意見、そして哲学
そうしたものを述べてきた読み物でした。

もちろんこうした僕の
文筆活動は、
僕が新曲を出したり、
ライブの告知をしたりと、
本当はそれが
一番伝えたいことなのだけど、
かと言って
そんなに毎日、新しい情報はない、
だからその穴を埋めるために
日頃物思うことを書いて
間を埋めようと
始まったものでした。

それから僕が、精神的に病んでしまった時期は
その特有の重い精神状態を吐露する場となり、
やがてそこから回復し、
気づけば僕も不惑の歳を迎え、
それまでの人生経験から
生きるということは
こういうものなのではないかと
一つのパラダイムの提案、提唱という
形へと変遷していきました。

最近僕が思うのは、
僕が言いたいこと、考えていること、
そして思っていること、
こうしたものはもう全て
ブログで言いつくした感があるのです。

丸7年やってきましたでしょうか。

正直、もうこれで全部でしょと思えます。

と同時に、今の時代というのは
SNSの時代となり、
本来の目的であった
自分の音楽活動の告知が
より簡単に行えるようになりました。

こうなると、
ブログの必要性が
突き詰める程に無くなるというか。

ゆえに、ブログというメディアの役目は
おそらくもうその一定の役割を
終えたのだろうなと感じています。

まあ、だからと言って
「僕はもうブログをやめます」という
話ではないのです。

ただ、おそらく人間ひとりが
一生の間で考えうる物事は
もうこのブログに全て書き留めてしまった、
それは事実だと思います。

僕が書き留めた言葉は
縁がある人には検索などで導かれるでしょうし、
縁のない人には
永遠に見ることのできないものばかりです。
そういうものを僕は7年の間に
およそ5000篇の記事として
積み重ねてきたのです。

全てはここにある。
けれど届けられるのは
同種のメンタリティを持つ
縁のある人のみ。
理解できる人にとっては
記事の中のほんの一言で
全てを理解できるけれど、
理解できない人にとっては
この5000もの記事を
1000回読んだところで理解できません。

それが僕の書いてきたブログなのでしょう。

さて、ここまで書いてきた今、
これから何を書けばいいのだろう。
そこが僕にとって
今考えるべきこととなっています。

もしかすると、
僕のブログがその役目を終えたというより、
僕自身そのものが役目を終えたような気もします。