音楽でいかに「いのち」を支えるか

昨日も触れましたが
もう20年近くも前、
当時やっていたバンドを解散した後、
普通の健康体で
新しい音楽活動を継続していては
得られなかったであろう
大切な事が色々あります。
20年近く、大きな茨の迂回路の道中、
誰もが知るように
大きな災害や事件で
本当に沢山の人が死んでゆくのを
目の当たりにしてきました。
特に東日本大震災のあと、
僕にとっての最大の感心事が
「いのち」でした。
「いのち」が
穏やかに健やかに、調和をもって
そのに存在しうる事が
いかに奇跡的な事なのかと悟りました。
「いのち」がその
かけがえの無い奇跡を維持するために
僕の力で何が出来るか、
そのような事を去年、一昨年あたりから
何より去年、感染症で死にかけてからは特に
深く考えるようになりました。
もちろん、僕には
その「いのち」を守るための
実質的な資格も頭脳もありません。
僕が唯一持っているものは、
音楽と詩と、それを再現するための
歌と楽器だけ。
この力で「いのち」を支えたい。
奇麗事ではなく、真剣に支えたいし、
その為に僕の音楽はあるのだと
信じています。
ただ、
「いのち」を支える事と
僕の音楽を結びつけるものが
何なのか、まだ僕には分からないです。
現在製作中のアルバムは、
「自分がこう表現したい」という思いを
一切排除しました。
ただひたすら、
もし音楽の神様、いや
この世を深く癒すもっと高次の神様が
居るとするのなら、僕は
そのような存在がこの世の人に伝えようとしている
「想い」を音楽に変換する
「ひとつの道具」に徹しようと考え、
実際にそうしました。
このアルバムには「僕」は居ません。
正直、僕自身も
自分のアルバムを手がけている感覚は
全くありません。
こういうアプローチで音楽を作った事は
はじめてだし、
どうもこの先も
こうしたアプローチで僕は
音楽を作っていくのだろうなと感じています。
僕は音楽において
ただの「伝達者」に過ぎない。
こういう態度で音楽に臨む事が
もしかすると
「いのち」を支える力学へと
通じるのかなと、
最近そのように考えています。
去年最後にツイッターでも
発信したこの詩は、
僕が音楽との向き合い方を
的確に表しています。
あなたの御手として
あなたの御声として
あなたの御心として
どうぞこの私をお使いください

(神様がいるのなら)
その指示通りに楽器を弾くし、
唄いもするし、
音楽も創ります。
こういう僕の
意思表示だったりします。
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