命は胸に・・・

以前お話しした事とも
重複する内容なのですが、
ケイト・ブッシュの「Breathing」という
歌の中で、彼女は
「命とは呼吸する事」と説いています。
崇高なるものも、自堕落なものも、
時には人類の業ですら
すべてを等しく受け入れて
ひたすら生命足り得るために
呼吸をすると説いているのです。
肺の機能が完全に止まると
およそ5分で
脳は回復不能な障害を負うそうです。
呼吸をする事で取り込んだ酸素を
肺が作った(というか変換した)
新しい血液として全身に送るのが
心臓の役目ですから、
肺と心臓は1セットで生命の維持という
最も重要な機能を担っているともいえます。
心臓にしろ肺にしろ、
個人の意志で止めたり動かしたり
出来るものではありません。
人が生きる事を望んでも
心臓や肺の機能が停止する事もあれば、
死を望んだからと言って
外的な破壊行為をしない限り
その機能は止まる事はありません。
人の意志とは別に
明らかに肺や心臓はその機能を全うする事を
望んでいます。
肺や心臓の動きが止まるまでは、
脳の機能が停止してもなお
生命を維持しようとするのです。
もちろん、「脳死」の状態では
その状態に陥った人の人生は
もう無くなってしまったと言えるかもしれません。
しかし、よしんば
自分の脳が死んでも心肺が正常に機能するなら、
その脳死した人の身体から
移植するための臓器として
それら取り出すまでの一時的な
バックアップとして心肺のシステムは
その役目を変えるのかもしれません。
それは
人類の叡智、医学が臓器を移植する術を
得る事を見越して
仕組まれた人体のシステムであると考えるなら
いろいろと道理も合います。
「脳死」の状態とは
生命のリユースという側面も
あるのかもしれませんし、
「脳死」が起こる仕組みがあるという事は
きっとそういう事なのでしょう。
それほどまでに
「生きようとする力」は強いのです。
「生きる事」、「生かす事」意外の事を
一切考えない。
それは、もっとも純粋な
「生きようとする意志」なのだと思うのです。
生きる意味などすべて失ったかもしれない。
これからどうやって生きていけば良いのか
皆目見当のつかない時だってある。
いっそこのまま死ねた方が
幸せなのかもしれない、
そう考えるときだってあるでしょう。
自分が自分の都合で
そうやって捨て鉢になってしまっても、
そう思いながらも
呼吸をしている。
脈は打っている。
呼吸して脈が打つから
脳は機能し、ものを考える事が出来る。
ネガティブに考える「力」さえ
その原動力は
生命を維持し続けようとする
「意志」あればこそなのです。
人が何を思おうが
人は息をし、
その全身を血液が駆け巡り
その存在を維持し続けているのです。
すべての生きる力は
「胸」にあるのでしょう。
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