ワクチンで人は救えるか?

貧困に喘ぎ、
街というものすら整備出来ない
発展途上国においては
その衛生状態の悪さから、
特に小さな子供を中心として
感染症で命を落とす人がたくさんいます。
環境も概ね清潔で、
感染症に対する
ワクチンや抗生物質が
当たり前のように潤沢に備蓄されている
日本という国に住んでいては、
そんな国に生き、生活しているからこそ
イメージし辛いかもしれませんが、
そうした劣悪な衛生状態を強いられている
生活環境に於いて、
果たして感染症から人を守る事は
本当の意味で善意となり得るのでしょうか。
今冒されている病は治せても、
そのような環境では
泥水のような水を飲料水としていたりしますから、
また新たな病に冒される可能性も高いです。
そういう地域では
満足に食事を摂る事も
ままならなかったりするかもしれません。
果たしてそのような環境に生きて
幸福なのでしょうか。
そこに存在する人の
心臓が脈打つ限り、
肺が呼吸をする限り、
可能な限り最大限の
アプローチをもってその命を救う事は
医療の大前提だとは思います。
医療は命を救う事が出来ますが、
救った命の人生まで
救う事は出来ないのです。
そのまま死んでしまえれば、
その肥溜めのような生活環境で
生きていかなければならない人生を
終らせる事が出来るのに。
しかしそうした考え方も
実は先進国に生活しているからこその
発想であり、
劣悪な環境で生活している人は、
それはそれとして
実は幸せな生き方をしているのかもしれません。
人の人生の幸、不幸というものは
あくまで本人の主観であって、
置かれた絶対的な環境によって
条件付けられるものではありません。
故に医療というものは、
人の幸せをより長く持続させるための
肉体的なメンテナンスのツールとして、
その特質を有効に活用出来るのでしょう。
臨床経験や実績は
医療を進化させるために
必要な事かもしれませんが、
そうした物事はきっと
その本質とは違うところにあるのだと思います。
人を心地良い生活の送れる生活に戻す事、
それは人を癒す事の本質だと思うし、
そう考えるならば
人を癒す事自体は
何も医療行為に限ったものでもないのです。
それは
「困っている人は助けるもの」
という根本的な概念から
派生していくものであれば、
いかなるものであってもそれは
「癒し」なのです。
ワクチンや抗生物質、
その他数多ある治療薬をもって、
人の肉体的な機能を改善し、
治癒させる事は可能かもしれませんが、
人生を幸せに出来る薬など無いのです。
こじれた人生に付ける薬は無いのです。
自分を幸せにすると決めた人にこそ、
真に「癒す」資格のある人なのだと思います。
逆に言えば、
自分自身を幸せにさせる、
そう決意する時から
「癒し」は始まっているのかもしれません。
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