老害の役割

最近よく、若い人が
「老害は去れ的」な
物言いをする事を
目にしたり耳にしたりします。
多分、若い人(20代くらい)にとって
老害とは、
日本の高度経済成長の原動力となった
いわゆる
団塊と呼ばれる世代や、
その子供にあたる
団塊ジュニアと呼ばれる世代の事を
指すのだと思います。
確かに、
老朽化して崩壊の一途を辿るものを
いつまでも
目先の利益のために
無理矢理延命させる事は良くないし、
そうした老朽化した人や組織は
解体されるべきだとは思います。
しかし、
「年寄りはどけ。道を開けろ」
これは虫のいい話でしょう。
若い人はこうした「老害」たちを
邪魔者にし、排除しようと
毒づくだけでは、
そのような若者には
今の「老害」のポストを譲らないでしょう。
若い人はこの「老害」の壁を
打ち壊し、新たなるものを構築してこそ、
今の「老害」と呼ばれる人たちと
同等か、それ以上のポストに
辿り着けるものなのです。
かつて「老害」の若かりし頃、
とてつもないバイタリティを集中させて
日本を経済大国に伸し上げたのです。
今の若い人に
それだけのバイタリティがあるでしょうか。
正直、そうは思えないです。
ただ自分に都合の悪い
邪魔な存在がいなくなって欲しいと
「思って」いるだけで、
結局は今の社会構造から
抜け出す気がないように見えるのです。
今、かつての戦争で焼け野原になり
更地になった日本に
1万円札をびらびらと見せつけて
タクシーを拾うような、
手に余るほどにまで富を築いた
「老害」たちは死に体です。
あちこちが腐敗して
その腐敗臭は
社会の害毒にすらなりつつあります。
ならば果たして「老害」は
自ら幕を引いて
そのポストを新しい世代に譲るべきか。
僕はそうではないと考えます。
「老害」たちには
その朽ちていく醜い姿を
若者に晒し続けて欲しいと思います。
そして若者は
「老害」が作ったあらゆる遺産を
打ち壊し、
新しいパラダイムを打ち立てて
はじめて「老害」を超える事が出来るし、
「老害」もその若者の
現状を打ち壊す力に対し、
居座ってでも限界まで
持ちこたえなければいけない。
そして
若者の力が「老害」の遺産に勝り
「老害」が力尽きた時
はじめて、若者は自分の世界を
手に入れる事が出来るのです。
今の「老害」だって
そうしてかつての「老害」を超えて
「老害」たちの世界を作ってきたのです。
「老害」が簡単に道を譲ってはならない。
常に若者の「越えるべき最大の壁」でなければいけない。
若者も腐ったゴミを
醜く臭いと思うのなら、
自らその手を伸ばして
ごみ箱に葬り去らなければいけないし、
それが出来ないうちは
その腐敗物は
いつまでもそこに
横たわって先に進む事を許さないのです。
「老害」はいつでも
とどめを刺されるのを待っています。
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