人の求むるところの本質

戦後、何も無くなってしまった日本を
経済大国にまで成長させた原動力は、
まさに「物を作る」力でした。
ただ作るだけではありません。
人が欲しいと思うようなものを
作ることが、
日本を成長させた
「物を作る」力の本質です。
つまり、「生産力」ではなく
それは
「開発力」にあったのです。
10年近く前、
世界的にApple社の「iPod」が大ヒットしました。
手のひらサイズの
コンパクトな筐体に
何千曲もの曲を入れておくことが出来る、
そのコンセプトは当時は画期的でしたが、
「iPod」がヒットした要因は
そうした性能面だけにあるわけではありません。
日本にも
携帯オーディオプレイヤーはありました。
1980年代に
日本人はこの携帯オーディオプレイヤーを
開発しました。
それ故にこの分野に於いての
基礎技術は日本メーカーに分があったし、
実際に日本製のオーディオプレイヤーの方が
音が良いなどという話も聞きます。
「iPod」のヒットを機に
日本の携帯オーディオプレイヤーも
「iPod」の設計コンセプトに
追従するようになりました。
しかし「iPod」には勝てませんでした。
Apple社のものより
性能が良いという話も出るのに、
誰もが「iPod」を求めました。
何故でしょう。
人は性能の良い
携帯オーディオプレイヤーが
欲しかったのではなかったのです。
ただ「iPod」が欲しかった。
そして1980年代、
若者が欲したのは
「ウォークマン」でした。
今の日本の
製品を作るあらゆるメーカーは現在、
この壁に突き当たっています。
安さでは後進の国の製品に敵わない。
かと言って
大衆にとって魅力的に見える
商品を作るための本質も
生産効率や利率を追求するあまり
捨ててしまった。
スティーブ・ジョブズ曰く、
日本の製品は
「死んだ魚」のようなものに
なってしまったのです。
Made in Japanに
影響力がもう無いのです。
世界的に見たら
日本メーカーの製品はもう
空気のようなものです。
人が欲しがるような
魅力的なものを作れば良いのですが、
これも今の時代
特許という壁に阻まれて、
そうしたものを開発することが出来ない
という問題もあるそうですが、
ここをブレイクスルー出来るだけの
知恵や創意工夫というものを、
かつての日本人なら出来たのではないかと
思えるのです。
パラダイムシフトを受け入れられる
指導者の柔軟性も必要ですし、
パラダイムを変えられるだけの
発想力を持つ人間を
日本は育ててこなかったという
問題点も浮き出てきます。
また、そうした
優れた発想力を持つものに対し
社会構造はむしろ、
排除する方向に向いてしまうことも
今の日本の足かせになっていると思います。
今の日本という国は
「魅せる」商品を創り出すには
ほど遠い環境のように思えます。
「魅せる」ことの
本質や意義というものを
今一度、
じっくり考察してみる必要のある
そんな時期にあるのではないでしょうか。
そこに
日本の大企業が
いろいろな分野で
ビハインドを喫している要因を
見いだすことが出来るような気がします。
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