心の柔らかさ

今の世の中、
それは日本に限らず世界中。
むしろ日本よりも
海外の方がそのような傾向にあるかもしれません。
皆、人が柔らかさを失くしてしまっていると思うのです。
人の心の柔らかさと表現すると
非常に漠然とした物言いになりがちですが、
現実を許容出来るだけの空間を
心に持てなくなっていると
言い換えても良いかもしれません。
きっとそれは多分、
現代文明がもたらした弊害なのかも知れません。
何故なら、
そうした心の容量の少ない人は
ある程度、文化的にも経済的にも
国力としても大きくなった
国の人たちに多いように思えるからです。
そうした国々の抱える社会に
何があるのでしょうか。
いや、何が
人の心の容量を奪ったのでしょう。
思うにそれは
きっと「情報」である気がします。
日々、様々な情報、
それはニュースにはじまり、
時間というものが
社会を流れていく速度が速くなり、
そして
複雑になっていく。
人はそうした土砂降りのような
情報を取捨選択し処理しながら
生きていこうとすると、
どうしても
自分の事で手がいっぱいになってしまうのも
無理からぬ事なのかも知れません。
ただ、それらの
怒濤のごとく流れくる情報も
所詮、ただの事象に過ぎないのです。
現実の取捨選択によって捨てて、
それがあった事すら意識もされず
過去の忘却の彼方へ去って行く
事象と同じように、
取り上げた事象もまた
過去の忘却へと過ぎ去って行くものなのです。
しかし人は
過ぎ去ろうとしている事象に
いつまでもしがみついて、
それが遠ざからないようにしたりするもの。
降りしきる事象を
心にどんどん溜め込んで、
自らが心の許容量を狭くしているのです。
自分以外のものは
過去へと向かう川に流し捨てて、
いつも心は自分の身ひとつの状態でいると、
自分で意識もしないうちに
自身の心にとって
本当に必要な滋養となるものだけが
自分の心に流れ着き、
心を育て
そして心の容量も広がっていくものだったりするのです。
その心に物事を受け入れる空間が広くなると、
人は知恵を深く出来るし、
それが心を柔らかくさせるのです。
心を頑にさせてしまうような知恵など
知恵ではありません。
単なる知識です。
たくさんの知識を身に付けても、
そこに本質が無ければ
知恵にはなりませんし、
知識だけを心に詰め込んだところで、
その容量は増えません。
本質を知り知恵を得る事ではじめて
心の空間の容積を
拡げる事が出来るのです。
そしてこの世界の
ありとあらゆるものを
許容する境地に達する。
そうした心の発達段階において、
人は知恵の深さに比例して
柔らかになっていくものなのです。
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