いのちという音符が集まるオーケストラ

とても抽象的な話をします。
生命たる人というのは、
様々な共鳴すべき揺らぎとしての
事象を経験として引き寄せて体験します。
それらの揺らぎは
自身の魂という基音に対する
倍音として
次々と取り込まれ合成され、
自身の魂という音色を豊かにしていきます。
しかしやがて、
あらゆるその音にも喩えられる
事象という揺らぎとしての倍音も
すべて取り込まれると
それは飽和状態となり、
果てには
混沌とした雑音となっていきます。
それは非常に混沌としたものなので、
自分の魂としての基音に
共鳴しない倍音は捨てていきます。
一度は捨てたものも、
その事象の認知が足らないと
それが受け入れられるまで
何度もその事象という倍音を
取り込み直します。
こうして一つずつ
倍音を減らしていきます。
これは意識して減らせるものではなく、
ひとつの摂理として
適切な時期に合わせて減っていくものです。
そして最後に静寂がやってきます。
真実、唯一無二の
自身という正弦波だけが残ります。
魂のゴールはここではありません。
ここがスタートなのです。
静寂の次に来るのは
「発振」です。
それまで
「発振」されたものに共鳴して
取り入れてきた
事象を自らが
生みだすようになるのです。
何を生みだすかも
自身が意識して選ぶのではなく、
摂理として
自然にそれを選んで生みだします。
世界が譜面だとすれば
人の魂というものは
ひとつの音符ともいえます。
欠けていても、余分があってもいけない。
その音符は
その音をそのタイミングで鳴るよう
宿命付けられています。
しかしその宿命は
自らが選んで買って出た宿命です。
人は生きていく中で
そのひとつの音符を
最高に美しくならす事が出来れば
それで良いのです。
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