「美」とは

美容整形というものがあります。
近隣の某国では
それをするのが当たり前というような
風潮もあるようです。
実際に切実に、
自分の容姿に決定的なコンプレックスがあり、
そのコンプレックスから脱却するために
整形するというのなら
分からない話ではありませんが、
ちょっと
この部分が気に入らないからというだけで
安易に自分の顔を変えてしまうのは
いかがなものかと感じます。
そもそも本当の意味での美しさとは
内面から創り上げていくものであり、
そうした積み重ねが
やがて容姿として
外面に顕われはじめる、
そうしたものだと思うのです。
多少鼻が低いだとか、
一重まぶただとか、
そのような次元でしか
ものの善し悪しを
「審美」することができないから
そこにコンプレックスも生まれてくるのです。
芸能人などで整形した人は
多々いますが、
あれはある意味
容姿が商売道具であるからで、
収入を得る道具としてそれを
カスタマイズするような
発想でするものであって、
端的に言ってしまえば
容姿で実利を生まない人にとっては
整形する事など無意味な事。
タトゥーも然り、
ギラギラしたアクセサリーを
じゃらじゃら身につけるのも然り、
ブランド品の服や鞄を
病的に埋め尽くして
ベタベタと貼り付けたように
身につける人も然り、
それこそ
必要もないのに(白人は体質的に別ですが)
サングラスをかけてみたり、
これらは実は
その人の劣等感、コンプレックス、
さらに深く言うなら
その人の心の中に
欠落しているものを
無意識に埋めている行為なのですよね。
本当に自分自身を
絶対的に肯定し、受け入れ
自信を持っているのであれば
かえってそうした
自分以外の余計なものは
邪魔なものにすらなる事も
あり得るのです。
とは言え別に
自信があるなら
街を裸で歩けと言っているわけではありません。
あくまで、
過度に着飾る事の
愚かさについて述べているのです。
そこまで過度に
外面を補完しないと埋まらないほど
深いコンプレックスがあるというのは、
それだけその人生に対して
業を負っていると言ってもいいかもしれません。
たとえ無理矢理にでも
外面を着飾ったり、整形するなどして
取り繕っても、
後から後から
「もっと今以上に」と
渇望を体験する事になるでしょう。
やはりそうした
コンプレックスの溝は、
根本の部分が満たされない限り
容易に埋まるものではないし、
それを埋め、心を安定させるには
自身の本質、つまり
心の部分を美しく磨く事が
必要なように思います。
心が美しくなれば、
美しくなればなるほど、
「審美」の目も育ち
外面や立ち居振る舞い、所作も
美しくなっていくもの。
こればかりは
いくらお金をつぎ込んで
劣った部分を誤摩化したところで、
同レベルの
心を持った人間は騙せても、
あらゆる人に対して
誤摩化しきれるものではありません。
少なくとも、
より高い次元の「審美」の目を
持った者からすれば
それは偽物であると見破られ、
その人の心の弱点すらも
見透かされてしまうものなのです。
過度に着飾った部分。
それは
自分の心の中に不足し
飢えているものを
象徴しているのです。
「美」とは
内面から醸成されていくものなのです。
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