この愛の底へ・・・

およそ人が愛するという事は
常に試練なのかも知れません。
ふとした拍子に、
何かをしていても
そこに割り込むかのように。
そう、常に
「その愛は本物なのか?」
と。
それは
不安や怖れという形となって
愛する者の心に
痛烈なまでの慟哭という杭を打ち付けて
問いかけてきます。
やがて消えゆく愛であっても
愛し抜けるのか。
とても叶わない想いであっても
貫けるかどうか。
届かぬ場所と知っても、
それでも行くか、と。
そうして次々に
残酷なシチュエーションを見せつけ、
それを本物であると囁いてきます。
しかしその問いかけは、
いかに自分が「愛している」か
という前提に立ったものなので
故に、
「愛して欲しい」という想いなど論外。
その程度の想いは
誰もおまえなど愛してはいないと
一蹴されて消し飛んでしまいます。
そうだ、自分はその人を愛している。
そう思うだけでは手ぬるい。
ならば愛すると決める。
それだけではまだ足らない。
それでもと愛した人を信じきる。
それですらまだ弱い。
その人を愛した事で
どのような結果に終ろうとも、
たとえ行き着く先が地獄であろうとも
愛した人をひたすら信じるだけの
覚悟が無くてはいけないのだと思います。
本当に人を深く愛するという事は
そういう事なのだと思うのです。
重ね重ね襲ってくる、
目や耳を覆いたくなるような現実に
多くの人は怖れをなして
愛の奥深くまで潜る事を
ためらい、果てに逃げ出してしまう。
潜れば潜るほどに
闇も深くなり、
行き先も、帰り道も分からなくなって
怖くなり引き返してしまう。
自分もまた息が出来なくなり、
力尽きてまた
愛の浅瀬に引き戻されていく。
そう。
愛の奥深くまで
その愛の海の底まで
窒息して息尽きようとも
辿り着く覚悟を決められる。
そこまで自身の愛を純化させられる人に
出会える人は
きっと幸せなのでしょうが、
きっと
おぞましいほどの絶望もまた
体験せざるを得ないのかもしれません。
その愛の海という深海の水圧は
とてつもなく重く、
とてつもなく苦しくなるけれど、
そうなれば
そうなるほどに甘い。
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