幼少の頃の僕

僕の子供の頃の話をしようかと思います。
現実、今でもそうですが
物心ついた頃から僕は
インドア派でした(笑)
暗い子供と思われるかもしれませんが、
いつも独りで
人形を使って
自分の作った物語を演じさせるのが好きでした。
まあ要するに、
人形を持って
ビューン!ドカーン!!的なあれですが、
僕なりにいつも
そこにはストーリーがありました。
今思えば、
僕の根本的な気質として
何かしらの「世界」「発現」というものを
生みだす能力というものは、
この頃から既に
先天的に持っていたのかもしれません。
外的現実より、
内的空想の中を生きる子供だったのだと思います。
内から溢れ出てくる
インスピレーションを形にするのが
本当に面白くて大好きでした。
それは人形遊びにも現れていましたし、
たくさんの絵も描きました。
何か実際にあるものを
絵として描画するというより、
この世に存在しないものを
想像で生みだし、デザインするという意味で
絵を描いていました。
幼稚園くらいの子供の頃ですと
男の子はやはり
ウルトラマンとがが好きなわけで、
ウルトラマンという番組は
1年かけて50回、50匹の
怪獣や宇宙人が出てくるので、
自分の考えた「かっこいいウルトラマン」と
それと対決する凶悪な
怪獣や宇宙人を
第1話はこんな怪獣。
第2話はこんな宇宙人
という風にデザインしていくのです。
そんな事ばかりしていました。
そうした頃だったでしょうか。
親がプラネタリウムに連れて行ってくれたのです。
地下鉄ですぐ行けると事に
プラネタリウムがあったので
よく連れて行ってもらっていたのですが、
まず大抵、僕がねだって連れて行ってもらう
場合がほとんどでした。
プラネタリウムの売店で売られていた、
星や銀河、星雲といったものの
写真の絵はがきを買ってもらって、
その美しさに見とれ
大袈裟でなく本当に
一日中それを眺めていました。
何故それほどまでに
星や宇宙に惹かれたのかは分かりませんが、
大人になった今、
その惹かれる理由を
大人の言葉で説明するなら、
子供の頃、
僕にとって宇宙というものは
自分の一部であり、
自分というものは
宇宙の一部であり、
その宇宙の姿をひたすら眺め浸る事で
自分が元居た胎内に守られているという
安心感を覚えていたのだと思います。
と同時に、
自分の親、家族、
幼稚園にいる他の園児、先生といった、
いわゆる社会に生きる
自分以外の「人」と供に共生する事に
非常に違和感をおぼえていました。
周りの人間は
有無を言わせず
人格を「ひとつの型」に収めさせようとする事は、
僕にとって理不尽そのものでした。
また、この世界は
何故だか分からず
「平等な世界」ではないという事が
全く理解出来ませんでした。
まあ、これは
今でも理解出来ない世の中の姿でもあるのですが。
誰もがそんな僕を
「わがまま」と一言で片付けましたが、
それすら本質でない事を
外に向かって表現出来る術を
小さな僕はまだ持ち合わせていませんでした。
ただ「自分」であろうとしているだけなのに、
なぜそれを
なじられなければならないのか。
誰もが同じ「存在」の現れに過ぎないのに
何故、区別をし、優劣や強弱を課すのか、
それを是とするこの世界は
やはり僕にとって異国の地だ、
そんな気持ちの蓄積が
ただでさえ
自分とは「異質」と思える人を
遠ざけるようになっていきました。
この人たちは「何者」なのだろうという
興味すら失っていきました。
だからいつも僕は
ひとりぼっちでした。
一応、波風が立たないよう
まわりに合わせはしましたが、
合わせるほどに
「僕とは違う人」であるという事を
思い知るだけでした。
そして僕はまた独り
星を観て、
僕の魂の子宮だったかもしれない
宇宙に想いを馳せる。
そんな子供時代でした。
言っておきますがこれ、
思春期以前に幼少期。
幼稚園とか小学1年生とか2年生とか、
それくらいの話ですので。
まあ、ませた子供だったんでしょうね。
でもまだ、
僕はどこの集団の中にいても
常に異邦の人のままです・・・。
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