宇宙のミニチュア

僕は植物を育てるのが好きです。
それは老人趣味的な
いわゆる「花いじり」という次元ではなく、
ニュアンスとしては
「植物観察」と言った方が
感覚的に近いでしょう。
ガーデニングより
プラントと言った方が近いです。
先日も感染症で危機的状態に陥った
苺のリカバーに奔走し、
今なんとか1株だけ生き残り、
回復の兆しを見せています。
そして先週の話ですが、
バジルの栽培キット、
ワイルドストロベリーの苗、
鉢で栽培する、ぶどうの木を買ってきました。
バジルは種から始めるもので、
今、二葉がたくさん出て来ています。
発芽率が非常に高いです。
苺をはじめ、
いろいろな植物を毎日
観ていると、本当にいろいろな事を
学ばせられます。
植物というものは
特定のサイクルで
自分のコピーを少なくとも二つ以上作ります。
自分のコピー(子)を複数作れば
もしどれかの株が死んだとしても
二株が残れば
種(しゅ)はどんどん増えていけるわけです。
だから種(たね)は
木の実や果実の中に
最低でも二つ以上の種が付きます。
また、苺の場合ですと
何度も葉と茎を生み続け、
時が満ちると
ランナーという特殊な茎が現れ、
それが新たな株となって
土壌に根付き、別の苺の株を生むのです。
そんな植物は
天の光(日光)と
地の恵み(水や栄養)を取り込んで
育っていきます。
双極性の全体像を持つ
「場」の中で生きています。
その育ち方は
実にフラクタル(相似形的)、
分かりやすく言うなら、
雪の結晶のように
同じ成長のしかたで枝分かれしていくのです。
その様はまさに
「宇宙のミニチュア」と
言ってもいいかもしれません。
この「宇宙のミニチュア」を観察する事で、
宇宙の摂理、運行を
自分の視界の中で把握する事が出来る。
そのために
植物を観続けているような気がします。
一本の樹が
生命の根源だとするなら、
僕たちは葉の一枚一枚なのかもしれません。
その葉は一本の枝から生まれたもので、
その枝は、その親となる枝から生まれたもので、
最終的にどれもが一本の樹に
集約していきます。
そんな樹たちもまた、
同じ土壌を共有して存在しています。
すべてフラクタルな道筋を通って
根源に辿り着く。
そうした縮図を
実に分かりやすく
かつ正確に具現化しているのが
植物だと思うのです。
見れば見るほどに
真理への気付きをもたらしてくれます。
植物は
宇宙のミニチュアであり、
生命現象の縮図であり、
また根源として
「在る」ものとしてのモデルでもある、
そう感じます。
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