いのち

いのち、人生とは
風にそよいで鳴る
鐘の音のようなもの。
様々な風に揺られて
様々な音色を響かせながら、
最後には
その揺らぎも止まる。
いのちという揺らぎが止まった時、
人はそれを
死と捉える人もいますが、
実はそれは違うのかもしれません。
揺らぎが止まって
元の状態に戻っただけと
言えなくもありません。
また別の風がそよいだら
その風の揺らぎに合わせて
また新たな揺らぎとなって顕われる。
今、自身が目にしているものも
すべては素粒子の揺らぎあっての
ものなのですから、
やはりこの世のあらゆるものは
揺らいでいるし、
その揺らぎは止まりもするし、
また揺らぎはじめもする。
この世という
包括的に統合された次元での揺らぎは、
そのまま相似形として、
人のいのちの揺らぎとしても
同じ事が言えますし、
そのいのちが営む人生もまた
揺らいでは収まるという
繰り返しを続けています。
人生に於いて去来する体験も
揺らいでは収まってと、
ひとつのいのちの揺らぎという
周期の中に、
いくつもの体験という
周期の揺らぎを持っています。
人間関係も同様で、
互いにエネルギーを強める
揺らぎを持つ人もいれば、
打ち消し合う揺らぎを持つ人もいる。
まったく相容れず
混ざり合えない揺らぎもあるでしょう。
結局何もかもは
揺らぎはじめて
収束していく、
そのプロセスであり、
それを見る事が
自らの存在理由であり、
それを存在足らしめる事さえもまた
周期性のある揺らぎに過ぎないのでしょう。
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