世界の業

今アジアでは、日に日に
反日感情が高まっています。
完全に暴徒化しています。
この反日の元は、
日本が帝国だった頃の
負の遺産という側面もあるでしょう。
と同時に
よそに目を向けてみると
アメリカも
過激な槍玉に上げられているのですよね。
こちらの場合は国というより
キリスト教とイスラム教の間の
わだかまりを
もっとも影響力のあるアメリカが
負の遺産として引き受けている、
そのような気がします。
この二つは別個の案件として
存在しているように思えますが、
実のところ
根本の部分は同じもので
繋がっているような気がしないでもないです。
事実上、
東洋では日本、
西洋ではアメリカの
戦後処理のあり方のほころびに
端を発しているも思われますが、
本当は
人類のもっと根の深いところにある
未だ清算し、浄化しきれていない
それはきっと人類の「業」と
言ってもいいような、
誰もがそれを見ないようにして
ずっと先延ばしにして
溜め込んできた
「業」が一気に放出を始めた
ように思えるのです。
結局どちらも
異民族に対する敵対心から始まり、
それが積もり積もって
人類全体が共有する
「怨恨」として大きな塊となり、
それこそ今流に言うなれば
「人類の業」というクラウドから
鬱屈した「怨恨」という膿を吐き出している、
そのようなイメージが浮かびます。
イスラム過激派のテロにしろ、
日本周辺の国の反日デモにしろ、
ちょっと普通じゃないですよね。
ヒステリックを通り越して
完全に常軌を逸しているというか、
何かに取り憑かれているかのような
振る舞いは、
完全に理性を受け付けず
コントロールを失った恐ろしさを感じます。
クールなようですが、
これはもう
このヒステリーが通り過ぎていくのを
まつしかないと思います。
理性を失った狂気と
同次元のステージで
同調して受け答えをしてしまっては、
新たな「怨恨」を生み、
そうした「業」もまた清算出来ないまま
未来へと持ち越してしまうし、
人類はもう
そのようなステージから
脱却する必要性を感じます。
言わば、新たなるステージへ登るための
痛みであり、
持ち越してきた「業」の報いの清算の時期。
冷静に
レイシズムの闇のはけ口となっている事を
淡々と受け入れ、
事の自体を見守り、
見送っていく姿勢が必要なのだと思います。
今、この世界を生きている目撃者は
今まで人類が犯してきた「業」を清算し、
ゼロのポイントに戻ろうとしている作用を
見るために生まれてきたのかもしれません。
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