契約制教育の提言

今の時代、
学校というものは
義務教育だから
特定の学校に通うべきという
概念を捨てた方が良いと思うのです。
学校ごとに教育理念を提示し、
その理念に
子や親が同調出来る学校を
選べるようにした方が
良いのではないでしょうか。
簡単に言ってしまえば、
高校や大学を選ぶ事の延長ですよね。
それはどういう事かというと
具体的な例で示すなら、
うちの学校では
かれこれこういう哲学を基幹に
総合的な教育を施します。
体罰は頬にびんた、
もしくは頭にげんこつのみ行ないます。
この際に負った負傷は
全治2~3日のものとします。
治療費は自費でご負担ください。
また生徒、保護者による
以下の行為は規約違反と見なし
相応の処分を受けていただきます。
(中略)
以上の理念に賛同頂き
ご子息を当校に入学させる事を
了承して頂けた場合のみ
ご捺印を頂き、当校への入学を認めます。
(印)
このように
学校と一定のルールに対し
コミットし契約する形はとれないものでしょうか。
今の学校の構造だと
生徒も父兄も教師も
それぞれが異なるまちまちの
ガイドラインを持っていて
人、個人それぞれの解釈のみのコミットで
明確なルールがなおざりにされ、
それこそ、言った言わないという
低次元のトラブルの元になると思うのです。
もちろん、
こうした制度だと
教育の質的にも
精神性や社会性の教育という面に於いても
格差が出来ると思われます。
しかし、そこが狙いなのです。
格差というから悪く聞こえますが、
パーソナリティによる住み分けをしたうえで
教育をはじめよう
という事なのです。
それで淘汰される学校があるなら、
淘汰されるだけの理由のある学校な訳ですから、
救済する必要はないでしょう。
淘汰される教師も出てくるでしょう。
淘汰されるべき教師は
教鞭を振るうに不適格な人間なのでしょうから、
そこであぶれたリソースは
別に回せば良い。
普通にクビにしてしまえば良いのです。
必然的に
素行不良の生徒が集まる学校も
相対的に現れるでしょう。
それはそれで結構。
良俗を乱す生徒は
別の場所に移して隔離しておいた方が
スムーズに授業が行えるし、
そうした素行不良の問題児が集まった学校なら、
充分にその更生に充てる時間を
作れる事でしょう。
そもそも、
学習塾が台頭してきた事によって
子供に平等の教育をという理念自体が
既に崩壊しているのです。
崩壊しているのなら
再構築すれば良い。
これからは
個々の個性によるグループ分け、
もしくは
親が子に与えたい人間教育や学問、知識
というニーズを満たす学校が
公立、私立を問わず
求められても良いと思うのです。
簡単に言ってしまえば、
同じような人間性の子供だけを集めて
教育を施すのです。
こうすれば
効率よく、的確な教育を与えやすくなるし、
子供も自分のペースにあった
教えられ方をするので
負担も少ないと思うのです。
ただ、もちろん
自分たちとは非なる者という
集団(別の学校の生徒)がいて
そうした人たちと
上手く付き合っていかなければならない事も
教えるべきです。
積極的に
他の学校との交流は行なうべきでしょう。
家族という似たものが
学校という異種の人と接する社会に通う
という構造を拡大させれば良いのです。
つまり、学校をひとつの家族として
見立てるという事。
本当は家族対社会の案件は
今まで通りの構造のままにしておくのが
良いのでしょうが、
今の時代、
その家族自体が未熟で崩壊してしまっている以上、
本来家族間で学ぶべき事も
学校の管轄として
取り扱う必要が出てきているのが
実状のように思います。
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