愛の法則・1

そもそも人は
常に「恋」をしていた方が
良いと思うのです。
しかし決して求めてはいけない。
多くの人は恋、愛について
二つの大きな思い違いをしています。
一つは
愛しているのだから
相手も「愛してくれる事が当然」
であると錯覚してしまう事による思い違い。
情欲に根ざした「愛している」の裏には
「だから愛してくれて当然でしょ」
という考えが隠れているのです。
愛してくれるものだと
当の本人も無意識に
思い込んでしまっているから、
いろいろと
色恋にまつわる悲劇が起こるのです。
自分が愛していると感じているのに、
相手が愛してくれていないという
「当然じゃない」現実に直面した時は
また特に格別な
哀しみや痛みを伴います。
愛して欲しい、
一緒に居て欲しい
そうでないと
辛い。
淋しい。
「愛してくれる」という
そうであって当たり前と
錯覚した欲求が満たされないから
苦痛なのです。
そのようなものは
愛ではありません。
どろどろとした
重たい欲望そのものです。
こうした思い違いの起こりやすい
恋愛でそれを見分けるのは
意外と簡単です。
もし、愛していると感じるその相手から
自分に対して
「もう二度と会いません」と告げられたら、
または
その人が別の誰かと
お付き合いをする事になったり
あるいは結婚してしまったりしたら・・・、
そうしたシチュエーションを想像した時、
絶望にも似た
喪失感や嫉妬を覚えたのなら、
それは愛ではありません。
ただの欲です。
真の愛とは、
相手に何も求めません。
相手がこの先の人生をどう歩もうと
自由にしたら良いという
究極の寛容さがあるものです。
それどころか
相手が幸せと感じてくれるであろう
道を歩んでくれる事を望むもの。
情欲が湧いてくる以前の
恋はすべて
この何も求めない
真の愛の顕われだったはずなのに、
情欲がそれを汚す事は
皮肉にして悲劇です。
そして
もう一つの思い違い。
自分の「愛している」という気持ちは
対象となる相手が与えてくれるもの
という間違い。
好きな気持ちにさせてくれる
対象となる人がいます。
その人がいるから
恋しい気持ちになるし、
愛に満たされる。
だからその相手が必要だ。
ところがこれも
本当は違うのです。
愛する対象となる人がいるから
愛しい気持ちになるのではなく、
その愛しい人というのは
自分の心の中に
湧き上がってきた愛情を
対象となる人に投影し
委ねているに過ぎないのです。
つまり
先に人が現れたり
何かの出来事が起こって
その後に自分が
誰かを好きになるのではなく、
本当は
自分の心に
好きな気持ちが先に湧き起こった
そのあと、
愛情を湧き上がらせる
きっかけを作った相手であったり
何かしらの共通点が持っていたり、
大きくいってしまえば
たまたま好みのタイプであった人などに
その自分の愛しい気持ちを
勝手に向けているのだという事。
詩的な表現をするなら
自分の愛の姿を
対象となる相手という「鏡」に映して
それを見て酔っている。
それが
「好きな人」という事象の事実なのです。
以上のこの二つを踏まえて
言える事は、
本当の愛とは純粋に相手を想う感情で
相手からのリアクションを一切求めないものであり、
その愛という発現を写し鏡にして人を見ると
その相手の事を
愛しているように感じると言う事。
これを基幹、前提として考えると
いろいろと
見えてくる世界があるのです。
つづく・・・。
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