この世には様々な軸があると思うのです。
物理的な軸と言えば
まず「点」
「点」と「点」が繋がって
「線」となり「点」が移動出来るようになります。
「違う場所」が同時に存在し得る
「軸」が生まれたのです。
「軸」は「点」を四方に移動出来るようにしました。
ここに「高さ」の概念が加わる事によって、
物理的な三次元、
つまり立体という構造が成り立ちます。
縦、横、高さ
この三つは「物」を「物」足らしめる
不可欠な軸ですが、
この三つの軸だけで
場所を特定するには不足している「軸」が
まだたくさんあるのです。
その軸は人の内的世界の中にあります。
そもそも、
縦、横、高さという「軸」も
自分自身という中心点を起点とした
内的世界の概念としての知覚なのですから、
物事の「位置」というものは
いろいろな軸に存在し得るわけです。
縦、横、高さの次ぎにくる「軸」は
時間でしょう。
立体の軸上の
ある特定の地点が
自分に対して右か左か、高いか低いかで
認識されるのと同様に、
その特定の地点が
今の自分の過去にあるのか
未来にあるのか、
その軸のどれだけの範囲に存在し得るものか、
場所の特定に
時間の要素も欠かせないのです。
さらに「軸」は
どんどん内的世界の深くにまで
展開していきます。
縦、横、高さ、時間の
特定の軸上に存在したものの
感触という「軸」が現れはじめます。
その感触というのは
人の心象と言い換えても
いいかもしれません。
具体的には
過去のある期間、
立体的に認知出来る物事に対して
「楽しい」と感じた「位置」と言えるでしょう。
かつてあった物事に対して
「楽しい」以外にも
「喜び」だったり、
時には「憤り」という心象を持っているかもしれません。
つまり、
あの時こうした事を体験し、
こう思った。
この事実とは
縦、横、高さ、時間、心象という「軸」に
展開されたわけです。
はじめは一本の「線」という「軸」だったものが、
物事の実像を表す要素として
五本の軸にまで展開されたのです。
さらに軸は増えます。
「心象」の次に
「認知」という軸がくるでしょう。
特定の時間、場所で感じた事の
「理解のバリエーション」という「軸」です。
同じ「楽しい」という心象も
その「楽しさ」の理解の仕方によって
「楽しさ」の質が変わってきます。
これらの「軸」はもっとあるのかもしれませんが、
それらの「軸」の複合体を
パーソナリティと呼びます。
つまり個性、個人、自分です。
物理的立体的な認知としての「軸」から
内的認知の「軸」までの
あらゆる「点」に自分を置けるのなら、
その自分すら
他者が居並ぶ「軸」の「とある地点」に過ぎません。
「軸」は自分を超えます。
あの日あの場所で感じた心象を
このように認知した事も、
パーソナリティそれぞれによって
特定される位置、座標が変わるのです。
その「軸」からは
あの日あの場所で感じた心象を
あの人がこのように認知した
という事象の連なりが見えてきます。
まとめるなら
こういう事です。
点が繋がると線という平面になり、
線が重なると高さを持つ立体となり、
それが特定の時間に存在すると事象となり、
その事象を感じると心象となり、
心象の理解の仕方が認知となり、
認知の在り方が個人となり、
個人の繋がりが集団となり、
集団の集積が世界となり、
世界の連続が真理となる。
このように、この世界のあらゆる物事を
「軸」として展開していくと
その軸は多分
人智を超える次元にまで達するのでしょう。
しかし結果的に言えるのは、
そうしたあらゆる「軸」の統合された
総和こそが世界の実体であり、
最終的にその実体が
存在するか、しないかという
一元的な「点」に
帰結していくものなのだと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ランキング的なものに実験的に参加しています。
お暇でしたら下のバナーを応援のクリックで
ご協力お願いいたします♪
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 人間・いのちへ
にほんブログ村