映画「プロメテウス」を観てきた

この前の月曜日、
映画「プロメテウス」を観てきました。
ここ最近、そう、
スタートレックが新作を作らなくなって
以降あたりからでしょうか。
オーソドックスで硬派なSFというものに
僕は飢えていたのです。
はい、SF全般が大好きなもので。
この「プロメテウス」
最初は、うは♪これよ、これ!
僕が求めていたものは♪♪
という感じで話がはじまっていくのですが、
話が進んでいくに連れて
だんだん残念になっていく・・・(笑)
ああ、そうか。おまえもか・・・。的な。
以前にも
こういうガッカリ感を味わった
映画があるようなデジャヴを感じました。
そう、もうかれこれ
10年以上前に上映された
ジョディー・フォスター主演の
「コンタクト」という映画。
この映画には原作があって、
僕は読んではいないのですが
きっと文章で表現する分には
奇麗にオチがつくのだろうなという事は
想像はつきます。
ただこれを映像で表現すると
途端に陳腐にになる。
そういうパターンの映画でした。
「プロメテウス」に関しては原作は無く、
どうも30年以上前に公開された
あの有名な映画「エイリアン」の
ストーリの前日譚として構想していたものを、
「エイリアン」の世界観から切り離して
独立した映画として作られたようなのですが、
どうにも
「エイリアン」の二番煎じ感が否めません・・・。
むしろ面白さで言うなら
今の感覚を持ってしても
「エイリアン」の方が面白い。
「プロメテウス」の提灯コピーである
「人類の起源」という点についても
最初の1シーンで
いきなり種明かしされて、
じゃあ何故?という疑問は
それを探るうえで巻き起こった
トラブルとともに
棚上げされたまま終るという。
CMでよくある
「続きはWEBで・・・」
的な終り方。
これって続編あるんですよね??
続編が無くて
「はい、これにて完結」
とされたら
金返せと言えるレベルかも(笑)
まあ、「人類の起源」という発想自体、
キリスト教的世界観の発想なのですよね。
「人は神が創った」という
聖書の言い伝えが元ネタなんですよ。
故にキリスト教文化圏の人からすれば、
「人類の起源」というものは
メンタリティ、アイデンティティの
根幹なわけで、
その「人類の起源」を
あまりに安っぽいものに設定してしまうと、
キリスト教文化で育った人にとって
ともすればブーイングものになる危うさがあります。
続編があるのなら、
「人類の起源」に対する理由付けを
ある程度、高尚に
説明しないと
この映画自体、
安いものになってしまうように思えます。
あらゆる全ての判断、解釈、考証を
続編に持ち越すという映画も
これはまた珍しい映画だと思いました。
この映画に出てくる
架空の企業があって、
わざわざ映画のプロモーションとして、
その架空の企業のホームページまで
立ち上げているくらいだから、
このままあっさりと
終らないと信じていますが、
とにかく気持ち悪いから
はやく続編作れ!
ちなみに余談ですが、
夏前に「スノーホワイト」という
映画を観たのですが、
その「スノーホワイト」で
魔女役をやっている女優さんが
この「プロメテウス」にも出ているのです。
この女優さんが、えらく奇麗な人。
奇麗過ぎてCGみたい(笑)
そう、雰囲気が
格闘ゲーム「鉄拳」のニーナみたい・・・。
僕はいつもニーナを使っていたから、
この女優さんも
コントローラーを使って
蟹鋏みとか出来そうな
錯覚を覚えると言う・・・(笑)
って言うか、
ニーナって誰だよって話ですよね。
スンマセン・・・。
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