音楽は魂の模型である

僕にとって、
音楽は目的ではなく手段であるというのは
以前から度々、説いてきたことです。

それはどういう意味かというと、
自分に必要な音楽は
既にここにあるということで、
それを獲得するための精進、鍛錬は
ひとまず一周して、
次に、それで何をするのか、
何を作るのか、何を生むのか、
という点が焦点になっているということ。

思い浮かぶままに
音を鳴らして、それをまとめて
「やった、できた〜!」
の次にすることが「手段」と
僕は捉えています。

これは比喩ではなく、
割と直接的なものの言い方として、
僕は、自分の音楽を作る時、
一つの「生命」、
一つの「宇宙」を作っていると思っています。

宇宙とは「音の仕組み」と相似する
性質を持っていると思えるし、
生命の兆候もまた、
音の振動と同質のものと考えています。

いくつもの音が編みこまれて
一つの音楽となるように、
いくつもの生命が編みこまれて
一つの宇宙ができているのだと。

故に僕は、
音楽を通して生命の模型を作っていると
考えているのです。

リズムの一つ一つが骨格となり、
弦楽四重奏の旋律のそれぞれが
血管となり、
主旋律は肉となり、
歌は心臓を動かす力となり、
そして歌詞は
実際の言葉として発せられる。

まるで人です。

そのように考えるから、
より美しくあるよう求めるのは
当然のことでしょう。

このように拘ることが
今、即座に何かを生み
影響を与えることはないでしょう。
それどころか、
今の自分の音楽の向き合い方が
正しいのかどうか、
本当に意味のあることなのかどうか、
それは全くわかりません。

けれど一つ言えることがあります。

僕自身、音楽を志して30年。

結局、行き着いた先は
『音楽を通して「いのち」を見つめる』
という行為だったのかな、ということ。
音楽というものは、
僕をそういう境地に導くための
灯台のようなものだったのかもしれない。

僕は30年かけて、音楽というツールを使って
「いのち」の実像に触れ、理解する
旅をしていたのだろうと思えるのです。

今、ベストアルバムに収録する曲の
プリプロ中ですが、
ここにある音、
ここで扱う音楽というのは、
単なる音楽とは思えないのです。

確かに、ここに、
「生命の兆候」を
ありありと感じ取ることができるのです。