夢と現実のエントロピー

朝起きると思います。

この目覚めはもしかすると
精神の眠りなのではないかと。

夜眠るとき思います。

これから訪れる眠りは
精神の目覚めなのではないかと。

朝は肉体を纏い、
夜はそれから解き放たれる。

往々にして
日頃、日常においても
感性が大きく開かれた状態になると、
非常に恣意的、あるいは象徴的な
夢を多く見るようになります。

人は肉体的に覚醒している状態で
体験することのみを現実として捉えますが、
その精神、違った言い方をするなら
「体験」と同義の種のもの。
これからみれば、
肉体的に目覚めている時の体験も、
またそれが眠っている時に認識することも、
どちらも等しく「経験」なのです。

人は肉体的に眠っている間に垣間見るその世界を
「夢」と軽んじがちですが、
ここを、なおざりにするということは
肉体的に目覚めた時に経験する世界も
「夢」と等しく軽いものとなってしまうものなのです。

むしろ「意識の自由さ」という観点から見て
より自由である、つまり
許されている状態の方を本質とするならば、
間違いなく、
普段、人が「夢」として認識しているものの方が
より本質に近いのです。

故に、夢も現実も等価のものであるのなら、
人は24時間、絶え間なく「意識している」状態であり、
「意識」にとっては
肉体というものは1日のサイクルの中の大半を占める
「ある一つの状態」に過ぎないのだと知るでしょう。

しかも、
眠っている時の方が自由なのです。
ともすれば、デタラメと思えるほどに。
起きている時は
なんとも動きがなく、また整然とした世界を
経験するというのに。

水蒸気が冷えて水になり、
さらに冷えて凍り、
やがて温まれば
それも溶けて、やがてまた
蒸発していくように、
人もまた
意識が凝固したり拡散したりの
繰り返しなのだと思います。

肉体的に起きている時だけが
唯一絶対の世界ではないのです。

自分の意識を軸に
体幹の状態の
バランスとサイクルがあるだけなのです。