暗黒時代

中世ヨーロッパ、
ローマ帝国の影響下で
キリスト教がどんどん広まっていった
おおよそ西暦1400年くらいまでの時期あったのですが、
この時代は中世ヨーロッパの「暗黒時代」とよばれ
特にローマ帝国が衰退期に入った後も
だらだらと帝政時代が続き、
ひたすらにキリスト教の教義を誰もが盲信して
人の精神活動や文化が停滞していた時代でした。
(一説には否定されているそうです)

結局この時代が生んだものといえば、
せいぜい教会内部の堕落と腐敗だけで、
その事で得をした人は
腐敗した組織の中で堕落した聖職者だったのでしょう。

時は変わって現代。

かつてヨーロッパの人が
有って無いような教義に盲目的に縛られ、
何もしないまま、何も生まないまま
何百年という
長い黄昏の時代を過ごしたように、
今の先進国の人々もまた、
資本主義、いや、その根本ある
「物質的な富」というドグマに縛られ、
逆にかえって貧しくなっているような気がします。

後進国の人たちも、こぞって
民主化と資本主義による生活の向上を目指して、
火に飛び込むように「物質至上」の価値観を
手に入れたがるのですから、
この流れはまだまだ100年は続くかもしれません。

人類の歴史は
「物質的な価値観を拠り所とした富」を盲信する、
長く衰えたままの
第二の暗黒時代に入っているのでしょう。

資本主義というのは、
民主主義に取り憑いて
「お金」か絶対の世の中を作ります。

資本主義の行き着くところは、
今の時代「勝ち組」とよばれる人によって
割を食った「負け組」の人を隷属として管理する社会です。

かつて聖職者が民衆を教義で欺いて支配したように、
経営者や管理職が
労働者を欺いて支配する社会です。

この社会では
民衆を自堕落にさせて、
民衆から喜んで自分の富を
搾取するものに差し出すのです。

産業とそこから
もたらされる富が
崇拝の対象です。

かつて信仰されていた「神」は
その依り代をなくして
物質的な富とそれを至上とする価値観に
乗り移ったのです。

資本主義のもとで
民衆はこれから先もなお
盲目のまま「贅沢」を崇拝して、
何も生まず、ただ贅沢という神を
費消して生涯を全うするのです。

実は資本主義というものは
人間誰にとっても
堕落の種になる仕組みだったりするのです。
故に、資本主義の社会に生まれ、
その生活様式や価値観から抜け出せないこと自体が
すでに資本主義という悪魔に
加担していることになるのです。

非常にマクロな良俗という観点からすれば、
人類の中に誰一人として
善性たる神を宿した人などいないのでしょう。
誰もが悪徳の酒の味によって
悪と気づかずに身を滅ぼしていくのです。

悪と気づかないのは、
自分の生きているうちには
滅ばないこともあるからです。
けれど二世代、三世代先の子孫が滅ぶのです。

それくらい長い視野で
滅びの教義は遂行されているのです。

そしてその遂行の完了を目指して
今日も人類は消費するのです。