春の閑話休題

昨日、「春待ち坂」の話をしたので、
ちょっとそれにまつわる話をしたいと思います。

まず、僕も最近知ったのですが
「春待ち坂」という坂は
実在するんですね!

実際には「春待坂」というらしいですが、
神奈川県は川崎市にあるそうです。

ググれば出てきます。

そんなに急じゃない・・・。
「若さがあれば(笑)」
この程度の坂は一気に登っていけそうな程度の坂(笑)

もちろん、この坂の存在は知りませんでした。

関東の方なら「知っとるわ!」という
坂なのかもしれませんが、(有名な感じはしませんでしたが)
少なくとも中部地方に住む僕は
そんなことを知る由もありません。

で、僕が書くネタがなくなってきて、
自分のブログの歴史を語っている途中の今の状況で、
お友達ミュージシャンのkajéさんが作った
「春待ち坂」をネットに上げていたりとか、
タイミングがいろいろと重なったので、
せっかくなので当時のことを振り返ってみようかと。

元となった「春待ち坂」の「詞の原型」というのは
何度も言っているように、
ただ書きなぐっただけの散文の詩が元でして、
その詩にインスパイアされた形で
kajéさんが最初に「kajéさんの春待ち坂」を
制作されました。

正直な話、「春待ち坂」の曲といえば
自分の曲よりもkajéさんの方を
思い浮かべるという・・・(笑)

これの元の詩を書いた当時というのは、
事実、精神が最高潮に病んでいた時期だったと思います。

今では考えられない事なのですが、
当時は精神薬の処方に関して
規制のようなものはなく(今、あるのかは不明ですが)、
精神科では不調を訴えれば
どんどん、足し算式に
精神薬を増やしていくというやり方が
横行しておりました。

僕も、そんな手口にはまって(笑)
多い時で精神科の薬だけで
様々なものを合わせて
1日に20錠近く飲んでいたのではないでしょうか。

すると怖い副作用が
いろいろと起きてくるわけですよ。

最終的に「生ける屍」と化して
精神科に入院(薬を抜くため)をすることになるのですが、
そういうことになる、
少し前に書いたものだったと記憶しています。

精神の病気という以前の部分で、
もしかしたら
これまでの人生の中で
一番もがき苦しんでいた時期だったように思えます。

きっと一番、
春が来て欲しかった時期だったかもしれない。

そういう精神状態から紡ぎ出された言葉に
僕もまたインスパイアされて
セカンドアルバムに「春待ち坂」という曲を
収録しました。

もちろん、kajéさんの曲とは
あえて全く違うところを狙いました。
できるだけ楽曲の雰囲気が被らないようにするのが
僕にとってもkajéさんの曲にとっても良いかなと思って。
同じ土俵に乗せると、
どちらがどうというわけではなく
結局相対的に優劣がついちゃうのが
嫌だったというか(笑)

それは作る側の視点というより、
聴く側の人の視点で比較対象にしたくなかった
という意味です。

どちらも
『同じもの』から
インスパイアされたのですから、
どちらも尊い個性を持つ音楽ですから。

音楽は人なり。
故に音楽を作るということは
そのまま、
人を作るようなものである。
by 鮎沢郁弥

人の数だけ「春待ち坂」の
光景は存在すると思うのです。
そこに良い悪いの概念はないように、
別々だけれど
「同じ春待ち坂」なのです。

kajéさんは、彼女から見えた
坂の光景を描き、
僕もまた、僕から見えた
坂の光景を描いたのだと。

だから誰に心の中にも
「春待ち坂」は存在するのです。

と、僕は解釈しています。