人間に高尚さを求めてはいけない

この世界には
自分がなぜ生きているのか、
あるいは
自分も含めて人はなぜ、
「ものを考えながら」
生物として生きなければならないのか、
そのような問いについて
考える人なんてほとんどいません。

考えたところで
変人扱いされるだけだったり。

実に大多数、
世界中の人間の九分九厘が
そういうことを考えないまま、
朝起きて、
お腹が空いたら何かを食べ、
それを食べるために、
あるいは、寝床のために、
本来必要なのか、
もしかしたら悪行かもしれないような
仕事をすることで維持し、
大人になったら
適用に相手を見つけて
適当にセックスして、
子供ができて、
育てているうちにやがて
歳をとり、老いて死んでいきます。

これが人間の本質なのでしょう。

そこに美徳や、高潔さ、そして
そもそもの
人である根本としての意味さえも求める必要はなく、
ただ生物学的、医学的に
「生きている状態」を維持するためだけに、
めんどくさいことや
大変なことも、
適当に処理して、
あわよくば
人に押し付けてサボったり、くすねたりして、
そうやって生きているだけで良いのでしょう。

ほとんどの人がそういう世界を生きているのだから、
この世界もまた
そういう人たちに都合の良いようにできているものです。

そこに気がついてしまうと、
所詮、人間も
猿よりは少し賢い程度の
「動物」なのでしょう。

僕は、
人間というものはもっと、
それは自然の叡智の体現でもあるかように、
過大評価していたのかもしれません。

この世界の、いや
この宇宙全体の
より本質に近く、
より善く、
より美しいものを
ここに体現し実践するために
人は存在しているのだと思っていましたが、
そうしたものを粗暴に
どんどん駆逐していくのが
人間という種なのだと、
こういう生き物なのだと
ようやく分かってきました。

ここには
美しいものや
愛おしいものがあるのだと思っていたけれど、
いや、きっと昔はあったのでしょうが、
人間という動物が
全部、汚して壊してしまったのかもしれません。

もう、
真実も愛も美も
根付かない荒野。

それがこの世界なのだと思います。