子を作り変えることへの危惧

「子は授かりもの」という
言葉があります。

おそらく生命の真理として
これはそれこそ
「最終回答」であると
言ってもいいくらいに。

いつだったか以前、
デザイナーベビーについて
言及したことがありました。

かいつまんで説明すると、
生まれてくる子供の性質を
遺伝子を操作したりして
親が選べるようになり、
かつ、そうやって生まれた子供のことを
デザイナーベビーというのですが、

l-enfant-d-etoir.net/ayu-ikuya/?p=6726
l-enfant-d-etoir.net/ayu-ikuya/?p=6728
l-enfant-d-etoir.net/ayu-ikuya/?p=6730

この辺りで書いたことを前提としてのお話です。

人間のエゴで「種の遺伝情報」を
変更してしまうことの意味、
そしてそれが資本の奔流に乗ってしまうことが
どれほど危険なことかと訴えたのですが、
もう上の記事も何年も前の記事で、
その後僕も色々考えてみましたが、
明らかに生まれてくる子供や親にとって
負担となるような原疾患が特定されたという場合は
ともかくとして、(これは議論されるべきところですが)
そもそも親の都合で
瞳の青い子が欲しいだとか、
頭のいい子供が欲しいだとか、
こういうニーズを資本が取り込んで
人類が行き着く先というのは、
近親交配であり、
人類自身の首を絞める行為なのだと思います。

人間、その好みは多種多様と言われていますが、
資本原理の観点から見れば
結局人間というものは
極力ストレスの少ないものという
一点に於いて、
所詮「同じ物」を求めるものなのです。
その同じものとは言い換えるなら
「より優れたもの」と言えるでしょう。

ここで優生思想とも関わってくる
問題となってくるのですが、
ここでは一旦これを割愛して、
「売れ筋の遺伝情報の存在」への
示唆に着目するなら、
これが商売となってしまった時、
同じ遺伝子が世に出回り、
その選別された遺伝を持つ子供が成長し、
やがて大人になって
子供を作るという状況になった場合、
『他人同士でありながら
近親交配と同種の事態』が
出現することが危惧されます。

カップルの遺伝情報を
互いに理解しているのならまだしも、
同種の遺伝情報を持っていることを
知らないまま受胎してしまっただとか、
そういう事例が出てくるかもしてないということです。

でも、もしかしたら
僕のような素人にはわからない部分であると
断りつつも喩えるなら、
動物自体に本能的に備わっているかもしれない
とされている
「インセスト回避(近親交配の回避)」が
機能したとしたら、
それはそれで
本能的に同じ遺伝情報を持つ人を嗅ぎ分けて、
交配(性行)しようとしないかもしれません。

どちらの場合にとっても、
人類にとって重大な危険を伴うのが
遺伝子の選別であり、
生命操作なのです。

上述のリンク先の記事で、
僕はたしか
遺伝子操作は、もしやるのなら
平等に対価なく
というような旨として結んだ覚えがあるのですが、
やはり、平等かつ無対価であろうと
するべきではないのだと思います。

そして「優生思想」自体、
人間の、特に健常な人間にとっての
都合のいい論理に基づいた考え、欲が
基底にあるのだという部分を
理解する必要があるように思えるのです。

本当は、
子供のというものは
生まれてくるそれだけで、
授かるありがたみを
持っているものなのだと思います。

全面的にそうは言えない部分があるとしたら、
それはもしかすると
「大人のエゴ」なのかもしれません。