デザイナーベビー

デザイナーベビーという言葉をご存知でしょうか。

今の遺伝子科学の技術によって、
生まれてくる子になるであろう受精卵の遺伝子を
親の望むような特徴を持つように
本来の遺伝子を操作して「作り変える」事を言います。

最近問題になっている技術で言えば、
自分の遺伝子に対して
他の人の精子や卵子の遺伝子を掛け合わせた際、
どのような子供が生まれる可能性があるかを
あらかじめ解析する技術です。

もちろんこのような技術の発想の根本は
生まれてくる子供が
先天的な重大な疾患を持って生まれてこないかどうかを
いかに予見するかというところにありました。

以前、
しかしそれは
「産み分け」つまり「生命の選別」にあたる
というお話をしました。

今回問題視されているポイントは、
そのような技術が
先天性の疾患の有無を予見するだけに留まらず、
自分の遺伝子に対して
どういう遺伝子を掛け合わせると
どういう子供が出来るのかを知り、
自分の産みたい(男性の場合は産ませたい)
特徴を持つ子供を選べてしまえる技術の
特許がアメリカで認可されたことにあります。

そもそも大前提として
理解しておかなければいけないことは、
妊娠をしたら、その生命は
不慮の流産などが無い限り
必ずこの世に産まれるものであるという事。
どんな先天的な体質や疾患、
さらには外見、容姿を持っていようが、
その命はこの世に産まれるべくして
着床したものなのだという事。

故に「生命の選別」という行為は
基本的にあってはならないと考えます。
人のエゴが生命を選んではいけないのだと思うのです。

まず、産むか産まないか。
妊娠を望んでいるか望んでいないか。
その選択はもちろん
具体的には経済的な問題であるとか、
受精卵や初期の胎児の状態をみて
明らかに致命的な疾患を抱えている場合などは
産まない決断をする権利を有しているとは思います。

逆にそれ以外の事例に関しては
産まない権利を持っていないのではないでしょうか。

産まない権利は持っていれば「得」という訳ではありません。

産む資格が無いから
産まない権利を行使せざるを得ないのです。

この「生命の発現」という根幹部分の
倫理が危うくなると
「いのち」の価値が下がるのです。

「産まなければ良かった命」を無駄に増やすからです。

産まれるべくして産まれる命を絶つという行為は
殺人と等価の重みを持つ「罪」でさえあると思います。

だから、「親が」納得の出来る
子供の特性になるよう、
遺伝子のマッチングをするだとか
まして受精卵を改造するなどという行為は
あってはならないし、
抽象的な言い方をするならば
それこそ神の采配の乱す行為であり、
ひいては自然のバランスさえ崩してしまう、
宇宙規模の重罪であるとさえ思えます。

こういうと大袈裟に聞こえるかも知れませんが、
実は大袈裟ではないどころか
結構、現実的で切実な問題を持つ
ぞっとする話であったりするのです。

その話は明日・・・。

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