そうか、やっぱりロックは死んでいたんだ・・・

「ロックは死んだ」と言われて
30数年が経ちました。

昔、パンクムーブメントが興った頃に
そう言われたのですが、
なんだかんだで延命されて
前世紀、つまり20世紀までは
ロックという音楽も
右肩上がりのコンテンツだったのだろうと思えます。

ただ気がかりなのは
やがて21世紀になってからの
15年ほど。
みるみるロックという音楽に限らず、
音楽そのものの
えもいわれない閉塞感というものを
ひしひしと感じます。

特にロックという音楽は
完全にもう、今際の際というか、
まさに今、臨終の時を迎えた状態だと思います。

ロックが息を引き取った。

そう実感されるのです。

僕も音楽を志して長いですが、
まさか、自分の生きているうちに
一つの音楽が臨終を迎え、
それを看取ることになるとは
思いもしませんでした。

いわゆる
「ロックの洗礼」を受けた
若い人を全く見なくなりました。
社会秩序という観点から見れば
それは平和なことなのかもしれませんが・・・。

そして
これは僕にも言えることなのでしょうが、
今、巷で聴こえてくるような
ロック「的な音楽」は全部、
もう死んでしまっているのに
生きているように見せかけている
ゾンビのようなものばかりです。

はっきり言って、
先進国という社会に生きて
物や情報がここまで氾濫する
世界的に見れば恵まれた環境にある人にとって、
今の先進国の社会というものは、
『何かを訴えたいわけじゃないでしょ?』

まあ、昔から特に何が言いたいでもなく
バンドとかをやっていた人というのは、
結局、歳をとったら音楽を辞めて
普通に社会人になってしまうわけで、
昔からそういうものだったのかもしれませんが。

なぜ辞めてしまうかといえば、
それ(ロック)が切実な道具、武器なのではなく、
ただの費消されるべき暇つぶしに過ぎないからです。

仕事を見つけ、結婚をし、子供もできて、
今本当にやらなければならないことができたから、
暇つぶしなどしないのです。
故に若かりし時代の暇を紛らわす必要もないので、
音楽を捨てる。

人生を賭して訴えたいことがある人ならば、
おいそれと音楽を辞めることはできないのだけれど
という話なのです。

それは切実じゃないものだから
一人また一人とそれを捨て、
誰もがそこに「ロック」があったなんて
知る人がいなくなり、
それを知るには
せいぜいネットやCDで
表層だけさらっと概要を把握して
それだけで知った気になった人が
ロックの紛い物を生産する。

ロックという音楽はもうきっと、
アイコンやテンプレート、あるいは
ファッションとしてしか存在せず、
その本質はすでに喪失しているのです。

わかりやすい例を挙げるなら、
日本の能や歌舞伎。
「型」としては残存していますが、
これらの本質を理解しつつ鑑賞できる人など
一般的には本当にごく少数です。

ロックという音楽もまた、
こういう「古典芸能」の枠へ
入りつつあるのかもしれません。

まあ、もともと
日本人にとってロックというものは
イギリスやアメリカの大衆音楽の
一つのムーブメントを、
土壌のないところで和訳した
「コピー商品」なのですけれど、
たとえそういう質のものだったとしても、
歳をとった人の中で、
最後に音楽に魂を掴まれて揺さぶられたのは
いつだったろう?

そこを考えると、
やはりロックという音楽は
すでに死んでいたと痛感するのです。

日本人にはロックより、
こじんまりとフォークギター1本で、
人畜無害で内輪受けに終始した音楽を
事なかれ秩序の枠内でやっているのが
お似合いなのかもしれません。

そして僕は、こういう音楽観に
中指を立てているのです。