ワイルドカード

時に、人という存在は
なんとも無益なものかと
感じることもあります。

そもそも、死にゆくにも拘らず
なぜ生きねばならないのか。

全てが無に帰すというのに、
その世に於いて
それでも何を為せというのか。
そもそも、今の「人」が
為してきた様々なことたちは明らかに、
人にとっても、自然にとっても、
そして地球にとっても
害となってはいないだろうか。

何千年経っても、
唯一かつ非常にシンプルな問いについて、
誰も正しい答えを導き出した人はいないのです。

『人は何のために存在するのか』

最も大きな視点で見たときの
「自然」にとって、
人がしてきたことというのは
ただただ無益なものだったのではないでしょうか。
要するに、
人はただ自然を汚しただけなのではないかと。

それなのに、人は生きようとする、
その真意が僕にはわかりません。
というか、誰もそれを知りません。

ただ汚して、奪えるものは奪い、
それを「財産」という言葉に変えて
子に受け継ぐというのは、
もしかすると「人のエゴ」に過ぎず、
単に、「人の業」を
親から子へと受け渡しているだけに
過ぎないのかもしれません。

調和を乱すこの「人」という存在は
明らかに不自然なように思えます。

おそらく、自然界からすれば
「人」の存在そのものが
「悪」であり「毒」なのだと思います。

いわば、自然界のワイルドカード
とも言えるかもしれません。

調和にとって、
産んだ数だけ業になる。
けれどそれが
新しい調和のバリエーションをも
生むのでしょう。

人というものは
自然界においては
「不用意な罪を犯す」
そのためだけに存在しているのかもしれません。