こっそりお話ししますと・・・

僕がこっそりとやっている
「One song for One vaccine」
というプロジェクトがあります。

これは何かというと、
僕が販売しているCD、音源について
1曲売れるごとに
ポリオワクチン1本分(¥20と仮定して)を
寄付しようというものです。

当然、偽善のつもりは無いし、
売名でもありません。
完全に「僕の慈善」でやっていることです。

なので、ブログなどで
その成果について語ることはしていません。

ちなみに、僕の音楽を買っていただき、
お支払いくださったお金の中から、
1曲につ¥20円寄付されることになっていて
2015年12月現在、
¥2260のお金がプールされております。

何故プールなのかというのは、
単純にもっとまとまった額になってから
一度に寄付しようと思っているからです。

一応、目安としては
¥10000貯まったら、
という条件を想定しております。

ただ最近思うのは、
ワクチンを買って済む話なのだろうか
という疑問も同時に考えるようになりました。

もちろん、感染症で命を落としたり、
その後遺症に悩まされる人が
実際に存在する以上、
ワクチンの存在意義の必然も理解はできます。
だからワクチン1本、という目標を掲げたわけですし。

でも、何か本質が違うと感じるのです。

以前から僕自身、
不用意なチャリティは
かえって
「相対的に不幸な人を作る構図」を
生んでいると確信していると言ってきました。

ならばチャリティは不要なのかと問えば、
全く無くなっても問題なのでしょう。
適材適所に必要とされるものがチャリティであり、
チャリティによって貯まった額は
重要ではありつつも、
そこに本質はないのだと思うのです。

当然ながら、
「自分はこんな慈善を施したぜ」という
「自分のアピール」などは
卑しい自尊心を満たす行為以外の何ものでもなく、
けれども誰かが慈善をすることで
世の中が正しく運行されていくもの事実でしょう。

要するに、
僕が自分の音楽が売れた分の一部である
募金分の額が一定額にまで貯まり、
いざ、何に募金をするのかと考えた時、
単純にワクチンを流通させている団体に
寄付する以外に、
もっと有用な方法があるのかもしれないと
考え始めているということ。

3年くらい、ちびちび売って
¥2000ちょとですから
まだ募金するのは、当分先のことだと思われます。

とりあえず¥10000貯まるまで、
有用な寄付先とはどういうところなのか、
それを考える必要があるのだろうなと感じています。

なので、僕のCDに書いてあるように
『1曲売れた分につき¥20のワクチンを買います』
と、単純にならないと思い、
そのうち、ここの文言も
変えなければならないのだろうと
思っています。

うん、まだしばらく
放置でいいのですが・・・(笑)