最後に出会う人

「究極の男女」
というものは存在するのかもしれません。

それはロマンティックな夢物語というより、
自然の理として。

人は本質的には「独り」です。

なぜなら、
今、その時間、その場所で、それを
認識しているのは
自分以外に誰もいないのですから。

けれどそれでも、
自分以外の人が存在するのは
肉体という壁を隔てて
自分そのものの「質」を
投影することで客観視しているからにすぎません。

肉体を隔てて客観視された「別の人」を
自身の経験を通して認識することで
人は心が豊かになっていくのです。

そうやって「別の人の存在」を
自分の中に取り込んでいくことで
「自己」は成長していきます。

これは複雑な分子構造を持つ物質が
ひとつずつ解体されて
宇宙で最もシンプルな
陽子と電子になるようなものです(化学的な考証は別として)

・・・ような気がする・・・(笑)

成長した「自己」は
やがて思いやりや労わりの思いを
抱くようになるでしょう。
なぜなら、自分と他人の区別が
限りなく等価になるからです。

それでも優しさが発露しないのなら、
その人には根本的に
「愛がない」つまり
「命としてのエネルギー」がないのかもしれません。

命としてのエネルギーがないから
命を未来に繋げないのでしょう。

命を繋いでいくには、
一般的には当然、男と女が必要です。
そして、最も純粋な命を繋ごうとするなら、
その相手は誰でもいいわけではありません。

自分以外の人、つまり
外界をことごとく統合させた後、
最後に認識するのが
自分とは反対の性別を持った自分。
最終的にはその存在と統合することになるのでしょう。

・・・そんな気がする・・・(笑)

けれど、もしかしたら、その存在は
出会っても簡単に結合することはないのだと思います。
出会った後、
結合に向けた「心の調整」の旅に出る必要があるからです。

同時に、
自分の反対の性を持った自分が
存在することを知りながらも、
その存在がここにはない、
という「最後の分離」を経験する必要があるからです。

この経験の期間に、
最後の心の掃除が行われます。

二つのヒト原子が
一つのヒト分子に安定するために、
ヒト原子として
結合の妨げとなる余計なものを
振り落として、まっさらな状態にするためです。

それが終わって、
周期の同期を待つ期間に入り、
融合するのに最もベストなタイミングを待つのです。

おそらく魂の旅のゴールは
ここにあり、
新しい魂のステージの
スタート地点でもあるのでしょう。

その人に出会うために魂は、
悠久の時間を
旅しているのです。

・・・のだと思う・・・。