最後の戦い

かなり以前の話なのですが、
誰だったか、著名な人が(評論家とかそちら方面の)

『マスコミがゴシップを連日、トップで報道する時は
新聞を隅からすみまで読んだほうがいい。
そういう時は民意に反するような法案が
知らないうちにこっそり通っていたりするから』

というような旨のことを言っていたのを
聞いたことがあります。

この話を聞いた時は
そんなまさか、そんな陰謀論的な、と
眉唾なものとして聞き流していたのですが、
最近、あながちこれは
本当なのかもしれない、そう思えるようになりました。

今年に入ってから特に
有名人のスキャンダルも然り、
ずさんと言ってもいいような
公人の汚職も然り、
国民の鬱憤のガス抜きをしているかのように、
次から次へといろいろなことが
大きく報道されますが、
そんな下世話なゴシップに気を逸らされているうちに、
日本は戦争のできる国になってしまいました。

このまま行くと、
財産もプライバシーも
国が監視するようになっていく可能性もあるでしょう。

自由は「一億総なにやら」という
全体主義によって奪われ、
国民一人一人が
首輪に繋がれる時代が
もうそこまで来ているのかもしれません。

いや、もうすでに
首輪に繋がれこそしていませんが、
完全にこの社会という檻の中に
囲われ、囚われていることは明白です。

これは日本に限ったことではありません。

ヨーロッパでは、今後を暗示するような事件も起きています。

資本主義の隷属の鎖を断ち切ることのできるのは、
皮肉にもテロリストであるかもしれません。

テロの蔓延は従来のヨーロッパ社会を破壊するでしょう。

こうして資本主義社会はコントロールが効かなくなり、
100年以上続いた近代社会の構造は瓦解していくのです。
そして一旦、テロリズムの天下がくる。
テロリズムは物質的なあらゆるものを破壊するでしょう。

物質的な豊かさこそが絶対的な正義であるという
価値観が完全に崩壊して消えるまで
テロリズムの暴走は止まらないはずです。

日本人にとっても、
もうすぐここが「戦場」になるかもしれません。
できるだけ「戦場」から遠ざかった方がいいのですが、
その「戦場」というのは
今の社会体制そのものなのです。

100年以上続いた、
民主主義と資本主義が悪い意味で癒着した
この社会体制の
『最後の戦い』はもう始まっているのです。

できるだけ、
この構造から遠くへ。
多少の火の粉は降りかかるだろうけど、
崩れる構造の中にいるよりは
まだ救われるはずです。