ヒト原子・ヒト分子

「水素」という「原子」があります。

「水素」はほとんどの場合、
一つの陽子の周りを
一つの電子が周っています。

水素原子のほとんどは
陽子と電子が一対一の
いわゆる「軽水素」と呼ばれるものです。

人の心も究極的にシンプルに考えるなら、
この「軽水素」と同じ構造を持っているのでしょう。

人の心の構造は、
「母性」という陽子の周りを
「父性」という電子が回っているようなもの。

母性が父性を引きつける時、
あるいは
父性が母性へ引きつけられる時、
父性が母性を周回する力こそが
「命」という体験のさざ波を作るのでしょう。

そしてその波紋こそが「愛の形」なのかもしれません。

けれど、水素原子のように
愛もまた、原子一つでこの世界に
安定して存在できません。

水素原子は同じ原子と結びつき
水素分子になります。

そして宇宙に存在する「水素原子」は
2つに結びついて「水素分子」として
存在しています。

これは最もシンプルな摂理です。

人の心も安定して存在するには
「ふたり」として存在するのが自然なのでしょう。

つまり「愛のエネルギー」は
少なくとも「ふたり」で共有しないと
安定しないということです。

対象があるから「愛すること」ができるのであり、
共有することでそれは安定するのです。

人の命として考えるに、
その最小単位は
「自分」つまり水素原子のように
一つの母性と父性の交流によって生まれる
「愛のエネルギー」と言えるのでしょうが、
水素分子のように
互いの命を共有し
「安定した実態を持った愛」という形で
存在することのほうが自然なのです。

命という愛を発すれば、
それに呼応する誰かが
この宇宙にはきっと存在するのです。