給料があるから国が悪くなる

政治というものは
ボランティアでやるべきです。
政治で給料をもらってはいけない。

お金が絡むから
政治も政治家も汚くなるのです。

政治家というのは
国や街のリーダーという概念は
今の人間にとっては
害悪でしかないのだと思うのです。

なぜなら、集団のリーダーは
人より多くの富を持ってしかるべきという
ロジックを生むから。
このロジックが
無為な富の偏りを生み、
いびつな関係構造や体制を育てるのでしょう。

だから、政治に一切お金を持ち込まない方がいい。
少なくともこれによって、
お金に絡む害悪から
政治を守れます。

政治に関わる仕事は
食えなくていいのです。

むしろ、食えなくてもなおそれでも
という有志だけが相対的に残ります。

選挙にもお金を持ち込まないのですから、
財力で票を操作することはできません。
必然的に、より民衆が理想とする
社会を実践できる人格者が選ばれるでしょう。

そういう志のある人にこそ、
民衆を束ねる資格は与えられるべきです。

こう考えると、
日本の政治家のほぼ全てが
政治の欠格者と言えるのでしょう。

というか、そもそも
政治家の類になりたがる人間は
皆、金や権力に魅入られた下賤であると
言い切ってもいいでしょう。

そういう下賤が国を動かしているから、
今の日本は「たかり」になってしまっているのです。

政治は慈善事業であるべきです。

それでは政治家のなり手がいない、
というのはおそらく間違いだろうと思います。

政治で生計が立てられなくなっても、
誰かがその役目を担うはずです。

そしてそれは「政治家」という
肩書きを持たない人でしょう。

「政治家」のいない社会にあっても
政治家と同様の役割をする人が
本業とは別に
政に関わることになると思います。

街や組織のコミュニティの
会長さん(わずかに謝礼をもらっていたりしますが)
のように、
自然な形で社会を運営させる役割が与えられるのが
本当の民主主義なのではないでしょうか。

誰が議員になっても一緒という
政治に無駄なお金が使われるより、
いつ、誰が持ち回りで
やらなければならなくてはならない、
そういう社会体制の方が
今より、よほどクリーンな
政を運営できるのではないでしょうか。

それで1億人を束ねるのは無理という考えは
現状の政治のあり方、概念が
固定されてしまっているからです。

町内会長をやってもらうように
誰かを代表にして、
それを
『一人一人が各々に助けあうこと』
ができれば可能です。

政治に使われる無駄金だって
10分の1、ともすれば
100分の1で済むかもしれません。
議員報酬がないのですから
そうすると
税金だって安くなります。

誰が偉いわけではなく、
国民全員が偉いのです。

これは「総活躍」の社会とは
言わないのでしょうか。