第二の音楽人生

一般的な「ロック」という音楽は
方法論的には既に、あらゆるものが出尽くしています。
ただ、出尽くしているが故に、
混沌としているのも事実なのです。

この混沌とした状態になって
使い古されてしまった「ロック」という音楽を
「今一度、整え直してみたい」
という野心から、
今の僕の音楽の追求は始まりました。

かれこれ15〜6年前、
まず僕がしたのは、
「ロック」から余計な雑味、毒気を
取り除くところから模索を始めました。

そして一度、毒気を抜いて
絶妙な分量の毒を入れ直す模索もしました。

けれど、この毒味の分量というものは、
聴く人の精神性によって
多くが必要だったり、
もっと少なくてもいいものだったり
するのだということも学びました。

そして最近は、
何が毒となり、
何が薬となるのかということも分ってきました。

ここ数日、話しをしていたことになるのですが、
この毒と薬の正体が分ってくると
音楽というものは
魂の模型のように見えてくるのです。

薬だけでは捉えどころがなく、
毒だけでも死んでしまう。
そういうバランスによって成り立つ音楽というものは、
まるで人間の生きる世界と
同じようなものだと感じるのです。

人として最も適切なバランスの音
というものがあると思うのです。

それはやはり、
無為な破壊や堕落を助長するものであってはいけないし、
かといって、
均整と清廉だけではエネルギーは生まれない。

人もしかり、
音楽もしかり、
そしてこの宇宙そのものでさえ、
今ある場所、状態から
より良くなっていくことが本質なのでしょう。

けれど、
毒を排除することでそれが実現するのとは
違うのだと思います。

毒を宿したまま、つまり
堕落や影を宿したまま、
堕落や影さえも
より良くなっていく、
これが本当の進化というものだと思うのです。

おそらく、
僕の音楽の第二の人生は
どんなものかと考えると、
音と世界と人の心というものの実像は
同じ軸の上に存在しているものだということを
証明する手がかりそ探すことが
目的となるような気がしています。

僕が10年近くブログに書いてきたことは
やはり、いずれは音楽に統合されて
完成だと思えるのです。

それが僕の挑戦であり、
多分、僕の音楽人生の
ラストスパートになるのだと思っています。