呼吸

森羅万象、
生まれ出て、存在し得るものは
全て滅びます。
究極的に長いスパンから見れば
「形として存在するもの」は
いつか必ずすべからく、
なくなっていくのです。

なぜなら、滅んでいくことこそが
真理であるから。

ただ、ここでいう「滅ぶこと」の解釈は、
多くの人の考えるところのその観念を
大きく拡張しなければならないでしょう。

「滅ぶ」、あるいは
「死」とも置き換えることのできるそれは、
古く、老朽化したものを
新しいものに刷新するための
一つの現象であり、
ここに現象として存在するそれを
古いものから
新しものへと交代させていく摂理の
顕れの一つなのです。

あるいは植物のように、
種から芽吹き、
やがて成長し花を咲かせ、実を結び、
そして枯れた亡骸に
次の世代へつなぐ種を残す。

新しく、若く、
そしてあわよくば
より進化した肉体を
精神の依り代とするために。

「有から無、無から有」の
サイクルから逃れることはできないのです。

生きて、老い、死にゆくことは、
呼吸のようなものなのでしょう。
息を吸い始めて生まれ、
息を吐き終えて死にゆくのです。

今の社会が窒息しそうなのは、
息を吸ってばかりいるからなのでしょう。

息を吐いて、自分の元から
離れていくことや、
息を吐き切ることを「死」や「終わり」と
恐れて、息を吐けないでいるのでしょう。

息を吐けば、
次の息が勝手に入ってくるというのに。

皆が自分の死を恐れ、またあるいは、
自分の手にしたものがなくなることを恐れて
極力、代謝させない世の中を作ってきました。
代謝せず、変わらないことが「安定」だと信じて。

けれど本当の「安定」というのは、
生まれ、老い、死に、
新しい命、つまり子へと
生を繋ぐことで
自分をも生まれ直していける、
そういうサイクルを生きられることなのでしょう。

老いることは衰えではありません。
叡智は、より蓄積され、
精神はより深化し、
時にはそれが真理となり
子の代、孫の代へと引き継がれていくのです。

故に人の意識は永遠なのですが、
肉体はそうではりません。

『生まれ直さなければ刷新できない』のです。

刷新できないまま、
前の「生」を引きずって
本来の自分を生きられるはずがないのです。

「前の生」を生きずって生きるということは、
今生きている「生」が
まるで「前世の罪滅ぼし」であるかのような
「生」になってしまいます。

けれど皆、
そうやって刷新された「生」を生きていくうちに、
目に見えるものだけに
心を引き寄せられて、
本来の「生」を間違えてしまうのでしょう。

だから人間は
現在から脱却できないのです。

こうしたことが積み重なって
この世の中のすべて、
あるいは宇宙の呼吸が乱れていくのです。

吐ききってしまえばいいのに。

吐ききって、衰え、死んでいくことは
何も恐怖ではありません。
全てを出し切ることによって
新しい何かが入ってくる。

この呼吸の循環こそ
命の本質なのだと思うのです。