不完全だからデモが起こる

政治に関して
何かしらあるにつけ(無いにしても)、
デモが行われます。

僕はデモという行為は
民主的だとは思いません。

むしろ覇権主義の裏返しだと考えます。

エネルギーの大きいものが
小さいものを駆逐しようとするエネルギー。

逆に言えば、政の本質が結局、
権力主義によって成り立っているから、
デモという「力」で政治が変わると
発想してしまうのかもしれません。

故に、デモが起こる政治というのは
その素地に決して民主的では無いものを
はらんでいると言ってもいいのでしょう。

人間が執り行う政治などというものは
所詮、覇権争い、権力闘争という
猿山のボスを頂点とする
ヒエラルキーの構造に毛の生えた程度の
原始的なものなのだ思えます。

もし仮に、
デモをする側が
現行の政治を倒し、
今度は自らが政をし、
さまざまな取り決めを
自らが行っていかなければならなくなった時、
その意向に反する別の集団が
もともとデモをする側にいた人たちを
糾弾するデモを行うでしょう。

それを繰り返すのが
人間の精神性の関の山なのだと思います。

突き詰めていけば、
この世の中には本当の
『民主主義など存在しない』のです。

まして、日本のような間接民主制は
今の世界の「共産主義」並に
風通しが悪く、
そもそも体質は「共産主義」に近いです。
政治を国民から遠ざけて
秘密裏に運営されているという点において。

そしてもちろん、ここでいう「共産主義」は
理想、理念として適合する「共産主義」ではなく、
現実として存在する「独裁国家的」な性質の
悪しき、履き違えられた「共産主義」のことです。

少なくとも日本の民主主義は
民主主義ではありません。
「民主主義のようなもの」と言えるでしょう。

だからきっと、
選挙も本当は必要はないのかもしれません。
というか、実際に現場として
形骸化してしまっているところもあります。

何れにしても、
政に参加しようとする人間(デモをする人も含めて)の
多くが、「力でねじ伏せて意見を通す」という
覇権信奉に囚われているうちは、
誰が、あるいはどんな組織が
一番多く票を得たところで、
その最もマジョリティの精神の中に
覇権主義は憑依するのです。

この構造がなくならない限り、
民主主義が民主主義たり得ることはないでしょう。