産む力

「産む力」というものを、
人は男女の性に関係なく
誰しもが普遍的に持っているのです。

何かを想った時、
そして、何かを行った時、
その度にそこに何かが生まれるのです。

小さな物事からは
小さなものしか生まないかもしれませんが、
生まれた小さなものは
やがて別に生まれた何かと溶け合って
新しく、より大きなものを
生むことだってあるのでしょう。

そうやって積み重なって出来た
大きなものは「国」となり、
その力は「国の力」ともなります。
そして国の力は、別の国の力と溶け合って、
さらに「世界の力」となり
やがては地球の、
そして宇宙の力となっていくのです。

これは物理的に「子を産む」
という表面的なことだけの次元の話ではありません。

子を産んでも、何も生まれないこともあるし、
逆に子を産まなくとも、何かが生まれることもあるのです。
そして、それらを産む、産まない、
あるいはさらに、育てるか、育てないか、
それを決めるのは
「自分自身」なのです。

たとえそれが人であっても、
あるいは、そうでないもの、
それこそ目に見えないもの、
知覚できないものであっても、
産んで育て続けなければ
やがてそれは死に絶えてしまうのです。

この世の理とは本来、
産み育てて栄えていくことこそが
その最も根本的な本質なのですから。

裏を返せば、
摂理に適うものこそが
最終的には栄え、生きながらえていくのです。

故に、この世から消えていくものがあるとすれば、
それはこの世の摂理に適っていないのでしょう。

摂理に適わず、滅んでいくものがあるとしたら、
摂理に適った新しいものを
産んでいけばいいだけの話。

力尽き果てたその瞬間、
そこに「善き心」を本質に携えているならば、
何度でも、永遠に生まれ直すことが
出来るのだと思います。
「産む力」という摂理の力学によって。

仮に「産む力」が働かなくなった世界
というものがあるとするならば、
それは遅かれ早かれ、
死んでいく世界なのだと思います。