鮎沢郁弥と音楽

この一週間は
僕の音楽観について色々と
お話をしてきました。

この先も音楽観に関して
話すことも、ままあると思いますが、
多分、今の「毎日更新」体制では
これが最後に記される
「現時点での僕の音楽観」です。

一週間語ってきました。

最後に、
今の僕の音楽活動の
置かれている状況についても、
あけすけにお話ししておこうと思います。

正直な話、
僕が音楽を披露できる場所というものは
もうほとんどありません。

残された披露できる場所というものも、
いつまでやれるか、というのが
実情です。

僕自身は、
音楽に関しての情熱は全く冷めていませんし、
事実、僕を通して降りてくる音楽というものは
今でも降り続けています。

ということは、
音楽はこれからも
作り続けられていくのだろうとは思います。

けれど、それをライブで披露できる
場所というものが
もう、無くなってきてしまっているのです。

もちろん、実際には「ライブそのもの」を
単にやる場所ならたくさんあるのでしょうが、
僕の経歴、方向性で
ライブができる場所となると、
もうほとんどありません。

自分の音楽性を変えて、
ライブができるスタイルに擦り寄っていけば
あるいは、まだ少しは
ライブのできる場所も開けてくるかもしれませんが、
自分の下に降りてくる音楽を捻じ曲げて、
偽ってまでして、
無理にライブをできる場所を作る、
というものでもないように思えるのです。

まあ、僕の音楽というものは
結局、バンドでやった方が
活きてくる音ではあるのですが、
自分の音楽活動でそれをするには
僕自身がその器が小さすぎるという問題もあります。

と同時に、
一般的な「人の生活の中にある音楽のあり方」
という部分がここ数年で大きく変わってきていることも、
僕の音楽活動のあり方について影響を及ぼしている
という面もあります。

正直なところ、
今の時代、多くの人にとって
「やりたい音楽」というものは
ほとんどがもう既に
「誰かがやった音」であり、
自分でそれを模索するより
相当に質の良いものが
何も考えなくても
誰かのそれで「やれてしまう」状況にあります。

それで良しとする人が大多数ですから、
そういう人たちと同じ土俵で
自分の音についてとことんこだわる
意味がなくなってきているのです。

僕自身はそれで良いとは思えないのですが、
だからと言って
大多数の人が間違っているわけでもなく、
むしろ純粋に音楽を楽しんでいるのは
その大多数の人であって、
全人生を賭して、もがくように
音楽と対峙している僕などは、
むしろ辛気臭い存在で、
今の多くの人の音楽の楽しみ方の中へは
入れてもらえない存在なのだろうなとも
感じているのです。

こうして考えていくと、
本当に僕が音楽を表現できる場所というものは
どんどん限られていき、
長い音楽人生の中で
かつて経験のしたことのないような
逼塞した限界を感じているのです。
これほど限界を感じたことはないです。

これで僕自身の感性も
同時に衰え、枯れていくというのなら
諦めもつくのでしょうが、
むしろ僕の感性は
歳とともに鋭敏になり、進化していることを
実感できるし、
今だって実際に
ベストアルバムとサードアルバムの制作を
並行しているくらいに
絶好調なのです。

このまま行って、果たして
どうなってしまうのだろうという
危機感があるのです。

音楽というものは
趣味で遊びでやるもの、
そういう考え方の津波に
今まさに押し流されようとしている僕です。

僕も津波の一部となって
波に乗って仕舞えばいいのかもしれませんが、
残念ながらそれは僕にはできません。
それは僕の人生の中の音楽とは
大きく乖離している。

僕を通して降りてくる音楽は
こういう状況にあって、
以前より増して輝いてきています。

誰もが素通りしてしまう光なのですが、
僕はこれを、どんな状況にあろうとも
守る必要があると感じています。
力尽きるまで守り通すつもりでいます。

日に日に、光を灯す場所が
なくなっていきます。

そして音楽に全てを注いだ僕もまた、
波に呑まれ、
誰も知る人などいないほどに
すっかりと、どこかへ流され
消えていってしまうのだろうなと、
最近は、そんな覚悟もついてきました。