毒と薬

音楽を構成する要素として、
人の心に作用するところの
「毒」と「薬」があります。

音楽において、
この毒と薬の配合の割合が
楽曲の個性となります。

心にとって「毒」となる要素は
実は音楽にとって
「気持ちいい」とか「格好いい」とか
そう評価される質のものです。
耳に入ってきて、一番最初に
心に作用する要素です。

それに対して「薬」の部分というのは、
何度も聴き込んで
はじめは気にも留めなかったり、
あるいは、ともすれば
聴きづらかったりと、
でも、何度も聴いているうちに
じわじわくる、
そういう、後になって
その存在の有用性が理解できる要素です。
もしかしたら、
一般的には音楽の「薬」の部分など
気付かない人の方が多いのかもしれません。

例えば、こんな歌詞の文句があったとします。

『頑張ったね、もう頑張らなくてもいいんだよ』

これは一見、「薬」の要素と捉えられがちですが、
間違いなく「毒」です。
まして、こういう言葉を量産して
莫大な収益を得るという構造の下にあっては、
まごうことなく「毒」となりえます。

一見この言葉は
人を慰めているようで、
実のところ、
心の隙を捕まえて
依存させている言葉なのです。

日頃ストレスを溜めている人は
『頑張ったね、もう頑張らなくてもいいんだよ』
こういう言葉をかけられると
ほっと肩の荷がおりる気持ちになりますが、
その「ほっ」という気持ちを
「外側から得よう」とし始めるのです。
これが依存です。

商業的な音楽は
この「毒への依存」を利用して
大きな市場を作ってきました。

結果的に
音楽に大量の「毒」が
流入してしまうことになってしまったのです。

ここで今一度確認しておきますが、
音楽が発する「毒」というものは、
うるさいとか、邪魔とか、気持ちよくないとか、
そういう性質のことを言うのではなく、
それに曝されることで
もっとそれが欲しくなるように
心を縛るもののことを指します。

そしてさらに、
ならば「毒」のない音楽は
正しく優良な音楽かと言えば
そうでもありません。

どこか人を惹きつける
「毒」がないと
人の心に音楽は届かないのです。

けれど「毒」だけだと
人の心は乱れます。

毒と薬の配分を絶妙に、
まるで人の心の善悪を
生き写しのように描けた音楽は、
人の心と完全にシンクロします。

シンクロした音波は
心を浄化させる作用を持ちます。

ヒーリングミュージックは
「毒」です。
思考や感情を平坦にさせて
エネルギーを奪います。

けれど、極度に興奮した感情を
なだめるには有効でしょう。

EDM (Electric Dance Music)も
「毒」です。
理性を停止させて
本能がむき出しになります。

いっときのストレス発散にはなるでしょう。

ヘヴィメタルも
「毒」です。
自身の心の闇を共振させる作用を持っています。

自分の中の腹黒い部分を
体現し、理解してくれる音楽の一つです。

ずっと続けて
こういう音楽を聴いていると
人間性を失います。

過剰に催眠効果の高い音楽や、
不要に鎮静させる音楽が蔓延しています。
実はこれらは全部、「毒」なのです。

一過性のカタルシスの効果なら
期待できますし、あるいは有用だと思いますが、
一度発散されて空になった心を
もう一度、人間性のある豊かなものに
回復させるには、
「普通の歌」が必要なのです。
毒と薬が絶妙に調合された
「普通の歌」です。

音楽で空になった心を回復させるのには
「薬」が必要なのです。

今、この
「普通の歌」が少なくなってきました。
「薬」にまでアプローチしていない音楽が
多くなりました。

そして人の心も
「普通の歌」を受け取るだけの
心の余裕が無いのも現実です。

「毒」で心を麻痺させないと
生きにくい世の中なのですから、
それも止むを得ないのかもしれません。

これは音楽に限ったことではないのでしょうが、
往々にして、人にとって
「毒」は甘い。
「薬」は苦いものです。

これが真理。