資本モンスター

年に数度でしょうか、
大きな会社同士が
競合するもっと巨大な会社に対抗して
合併をするとか、
そういう話を聞きます。

そんな話を聞くたびに
資本主義経済とは怖いものだと感じるのです。

強者が弱者を喰らって
どんどん膨れ上がっていく
怪物のようだと感じます。

ニュースになるほどの規模の
多いな会社だと、
もう誰それの意見というものは皆無で、
集団意識(特に株主だったり、役員諸々とか)に
誰もが取り込まれて、
個人での制御が不可能な
組織になっているのだろうと思います。

個人では制御不能な奔流の顕われこそが
この社会なのだろうと思えます。

誰もが気づかないうちに、
その奔流に呑まれて
いったい誰がこの世界を動かしているのだろう、
この社会という装置が今もこうして
一定の秩序をもって機能しているけれど、
この機能を誰が管理しているのだろう、
その操作主、あるいは管理者とは誰なのか。

そこを見ようとしても
全く見えてこない怖さが
資本主義社会にはあるのです。

いっそのこと、王様や
あるいは独裁者が
目に見えていた方が、
わかりやすく潔いとさえ思えるのです。

王様や独裁者より力を持つ
見えざる不在者とは、
本当に不在なのでしょう。

冒頭の会社の合併という現象は
見えざる不在者のしっぽかもしれません。

いち個人では制御することが不可能な
集団意識の奔流がそこにはあって、
その流れに考えもなしに乗ったままでいると
臨界後の縮退期に
個人さえもが解体する体制という
瓦礫として扱われてしまうという怖さ。

それは今、難民という形となって現れています。

資本主義の歪みがこういうところに
出てきているのだと思えます。

奔流の上層にいる人たちは
何一つ不自由なく暮らしているのですが、
資本という怪物を
人は作り出し、
そしていずれは
自らが作り出した自覚のないそれに
自分もまた喰われていくのだろうと思います。