いずれ誰もが死について考えざるを得なくなる

僕が「生命」というテーマについて
記事を書くようになった理由の一つに、
いずれ人は
「いのち」について嫌が応にも
考えざるを得なくなる時が来ると
考えているからです。

それはなぜか。

周知の通り、
現代というのは少子高齢社会となり、
また独身、あるいは単身で
身寄りのない人も必然的に増えてきます。

高齢化していく社会というものは
より「死」に近接していく社会とも言えます。

例えば、若い人であれば
少しも話題に上らないであろう
健康の話題、
あそこが痛いだの、
ここが悪いだの、
こういう話題は中年以降の人であれば
年齢に比例するように
多く話題になる事柄です。

その延長線上に
高齢者の「死」の話題があり、
高齢者が圧倒的マジョリティとなる社会においては、
スケールの大小こそ違えど
「死」について向き合う必要が出てくるのです。

辛気臭い話ではあるのですが、
それでも「死」に関して考えるのは
早ければ早いほど良いのです。

と言うより、
「死」を意識してからが
本当の「生」を意識するようになる
ものだったりするのです。

いずれ多くの人が
その老い先を考えるようになる
という意味では、
同時に逆説的に近い将来、
「生の意味」を問う
人が多くなるとも言えるのです。

そうしたムーブメントが興りやすい
社会であれと思います。

生きる意味を考えるようになってからの
「生」を生きられる
世の中であって欲しいと思うのです。