母性を学ぶことで見えてくるもの

さて、ここで僕はこの「母性」についての
一連の学びについて、
便宜上ここでは
「母性学」と呼びたいと思います。

なにやら、文字変換をしても
「母性学」という言葉は
すでに登録されているようだったし、
「ありがち」な言葉でもあると感じたので、
重複する考え方があるのではないかと
「ネットだけ」ではありますが、
「母性学」という言葉を検索してみました。

けれど純然と「母性学」という言葉は
単独で確立されているわけではありません。

https://ja.wikipedia.org/wiki/母性

ここを参照していただければわかると思います。

wikiにもある通り、
主だって体系づけられている
「母性」に限って言えば、
母性看護学と母性心理学の二つでしょうか。

wiki上の母性の概念では、
他の事項に関しては「学ぶ対象」というより
社会運動的な性質を持っているように感じます。

まあ、でもいずれもフェミニズムからの展開
という点においては
wikiに記述されているような物事を
「母性」といのでしょう。

ただ同時に、この側面たちは
最終的に統合さて、
一つの新しい体系を構築する必要があるとも
僕は考えるのです。

そこについて言及する文献を探しても
見つけられなかったから、
今僕はこの「母性学」を提唱していると
言っても過言ではありません。

すでにこの概念の本質を明示する
文献があるなら、
出来合いのそれを読んで理解できた方が
より楽で手っ取り早く、
話は早いのでしょうが、
いかんせんこういう結び付け方で
「いのち」と対峙し模索した形跡が
ないのが現状です。
(あくまでネットの検索に限ってですが)

僕の投げかけた問いに答えてくれる
書物に出会うことができることを祈りながらも、
僕は僕で思索を進めていかなければならないのです。

昨日の記事で僕が言ったように、
僕が着目する「母性」というものは、
生と死という両極の概念を
貫通する軸としての「母性」のことです。

むしろ、
自然科学や思想、哲学よりの概念に
親和性がある気もします。
上述の「母性看護学」や「母性心理学」に
先立つものとしての思想です。
ただし、それらより上の次元にある
という意味ではありません。

僕が答えを見出そうとしている物事の
答えそのものから
細分化されていくものが
「母性看護学」や「母性心理学」であり、
より実践的で局所的な専門性の伴う体系だと
僕は考えます。

まだ僕も学び始めの戸口にいる立場ですので、
今後、さらに訂正や追記、補完が
なされていく気もしますが、
「いのち」というものは
その肉体を持った「生ある有限の存在」である
と定義づけをした時、
そこで浮上する「生死観」は
あまりに客観的するるのです。

客観的であること自体は悪くないのですが、
人の生き死にが
まるで人の外で起きることのような
冷たさを感じるのです。

しかし「生死」というを
正しく把握するうえにおいては、
やはり一定の客観性は保たなければならない。
その客観視という冷たさに
人の生身の温かさを与える概念が
「母性」であるとするのが
「母性学」の最初のテーゼであるのではないか。
この前提から構築と解体を繰り返す作業の中で
「母性の本質」が見えてくるのではないかと。

そしてここで導き出されるところの
「母性」は、
暴走する危険をはらむ
科学技術、医療技術の発展を
過たせないための抑止や
指針となりうるでしょう。

そういう意味では
おそらく「生命倫理」という領域を
道すがらに通っていくこととなるのだと思います。

そして最終的な到達点は、
「母性なくして人の人らしい在り方」は
体現できないよね、と
結ばれることとなるのでしょう。

これがおそらく「母性学」のゴールなのでしょう。