家畜小屋の自由主義

人はこの社会の中で
何かしらに関して
常に奴隷として生きているということに
気づいているでしょうか。

自分の本意ではないけれど
それをしないと
生活できない、生きていけないという
おそらく、人の存続の既定たるところの
相当奥深くに根付く質のそれです。

とりわけ民主社会では
「人は自由だ」と言われますが、
本当はそんなことはないです。
「社会という見えざる圧力」によって
線引きされた枠の中においてのみの
自由を許されているだけで、
それは自由とは呼ばないのです。

そういう取り決められた枠の外側にこそ
本当の自由があるはずなのに。

言ってしまえば、
自由主義という名の家畜小屋の中を生きるのが
現代社会の人たちなのです。

家畜小屋の中であれば、
手厚く、そして快適に
暮らすことができるでしょう。

当然、家畜小屋の外には
自ずと与えられるような快適さはありません。

それをいいことに、
家畜小屋のオーナーは
家畜小屋から脱出した家畜を
再び小屋へ戻すよう、
小屋の外では生きられないような環境を作り、
小屋への依存を促すのです。

小屋の中なら自由だよと。

これは自由の本質ではないし、
そもそも、ぬくぬくと
家畜として生きる快適さを体験したのなら、
多少の不自由には目を瞑ろうとさえ
思うことでしょう。

小屋の外に出たところで
結局最終的には
再び小屋に戻ってくるしかない。

これが今の社会の
「自由システム」という「ルール」なのです。

人は皆、たとえば国家のような
見えざる圧力によって、
誰もがその奴隷となることで、
その社会を維持できているのです。