素晴らしき哉、人類

このブログで僕は何度も、
この自然のバランスを
崩し不全足らしめているものこそ、
人間に他ならないと言ってきました。

けれど最近思うのは、
ならば、人類の存在が
自然環境を破壊するからと言って、
この地球から人類は排除されるべきという
そういう論拠には至らないのだろうなと。

仮に、この地球上から人類がいなくなったとして、
地球の環境が回復するのでしょうか。

確かに、人間が破壊した部分は癒されるでしょう。

しかし地球生物の頂点としての
人類がいなくなったとしても、
それならそれで、
今度は今まで生物の中のナンバーツーに
あたる存在が頂点になるだけで、
頂点の座に昇り出た
ナンバーツーであるところのナンバーワンは、
人類が今までしてきたように
増殖し、環境を汚染し、
生態系のバランスを乱すでしょう。

生態系の中で
中間に位置するような、
言い方は悪いですが凡庸な生物であれば、
天敵によってその個体の数も調整されます。

けれど、生態系の頂点、つまり
天敵のいない生物は
増えすぎた個体数の調整が難しいのです。

故に、個体数の抑制が難しくなったとき、
ウイルスのような存在が
淘汰のために活性化するのでしょうが、
人類の叡智はそれさえも克服するかもしれません。

しかしこのままでは人間が増えすぎて
環境のバランスが崩れてしまう。
それでも人間が、全体として増え続けたら
どうなるでしょう。

恐らく、人類自らが作ってきた
ものや技術、あるいは決め事によって
自滅することになる気がします。

人間は自らが崩した自然のバランスによって
足元をすくわれるのでしょう。

もしかしたらそういう、
劇的なカタストロフを起こさないために、
今の、特に先進国での少子化という流れが
自然の摂理の中で働いているのかもしれません。

人類という種は、今まさに
臨界状態にあると思われます。

これはきっと同時に、
人間が作り出した叡智も業も、
それらが自然環境にとって
不釣り合い、身に合わないものであるなら
解体されていくのだろうと
示唆されるのです。

自然の叡智に比べれば、
人類の叡智など
浅知恵以外の何物でもないと思うのです。

故に、エゴと業にまみれた人間は
不要な存在ではあるのです。
しかし同時にまた、
この自然界にとって
「叡智を持つ人間」も
絶対に必要なのです。

誰もがこのバランス感覚に気づけば、
きっと自然はは息を吹き返すのだと思うのです。

誰の手によってか。
もちろん、人類の手によってです。