この世はエゴでできている

この世の中は
人が過ごしやすいように、
街やルールが作られます。

それがたとえ、
総合的にみて人や社会のためにならない
害悪であっても、
とりあえず目先の人たちの
要求、欲求を満たすために
肯定されたりもします。

トータルがどうであれ、
今の利益が優先されるそれは
まさに人のエゴそのものですし、
そのエゴの要求を物理的に叶えるために
投影されたこの世界、この街、
この建物なのでしょう。

そう考えると、この世はエゴにとって
実に都合の良い仕組みでできています。

何のことはない。
人は自身のエゴを物理的なレベルに
転写する生き物だからです。

電車の自動改札機の切符の投入口が右側にあるのも
右利きの人にとっては至極当たり前のエゴですし、
そもそも民主主義だって
エゴのエゴによるエゴのために選ばれた
エゴの代表によって運営されているものなのです。

あんな事良いな、出来たら良いな。

これも全部エゴであり、
この世界はそんなエゴを満たすために作られ、
そして作られた結果でもあるのです。

つまり、この世はエゴでできているのです。

自身の内奥にエゴを宿すかぎり、
この世は世界たりえます。
エゴがなくなれば、今あるこの社会も消えるでしょう。

結局、エゴで構成された世界という
受け皿の上を生けているという点において、
人はエゴに加担するエゴイストの一員なのです。

ならば、エゴは悪なのかと言えば
そうとは言えないのでしょう。

悪となるのは
無知なる人の持つエゴの事であり、
そもそも、良俗なエゴが集まる社会ならば
そこに構築される社会もまた、
善きエゴが投影された
良俗な社会が形成されるはずなのです。