音楽といのちは、どこかで繋がると・・・

この際なので
ネタばらしをしてしまいますが、
これから作ることになっている
僕のサードアルバムは、
コンセプトアルバムになります。

実を言うと、
すでにファーストアルバムである
「風は群青の空をそよぐ」の
プリプロ(作曲)作業の段階から
サードアルバムの構想は練っていて、
ファースト、セカンドときて
3作目に出すべきものとして
それこそタイトルまで既に決めて
少しずつではありますが準備してきましたし、
まだ準備段階でもあります。

で、何をそんなに
それこそ構想4年とか5年とか
これほどまでに時間をかけているのか
というところが肝なのですが、
このコンセプトアルバムが扱う内容というのが、
「いのち」なのです。

もっとも初期の、まだただ単なる
着想の段階では、
「なんとなく生命賛歌になるような」
くらいの簡単な意味合いで
「いのち」を語ってみよう
という感じのところから入ったのですが、
これがまた一筋縄ではいかないほどに
深淵な世界がそこに横たわっていたのです。

「いのち」について
どう歌うかという部分を考えていくために、
どうしても必然的に
本気で勉強しなければならない事柄が
どっさりと宿題のように山積みになりました。

ひとことに「いのち」といっても、
それを表現するために知っておくべきことというのは、
思想、哲学、宗教、そして倫理、
さらにそこから枝分かれしていくように
社会について、福祉について、
医療について、介護について、
そしてフェミニズムへの見地の打ち立てなど、
およそ音楽とは程遠い(とは思っていないのですが)
分野についての知識を身につける必要が出てきたのです。

そのための本をこれまでも、これからも
たくさん読むことになるのですが、
かといって、
「たくさん読んだ本の感想文の寄せ集め」には
当然することはできません。

実際に「いのちというものの存在」を
真正面から捉え、
一つの学問として確立させようという
試みや運動はあります。

僕はどうやら、この領域に踏み込んだのでしょう。

そしてここで学んだことを
自分の中でそれを咀嚼し、
一つの哲学や思想を打ち立てたうえで、
それを音楽と詞という
ある種のリリカルなロマンティシズムへと
落とし込んでいかなければならないのです。

この作業がとてつもなく深く、
また抜けられないほどに複雑な道に僕は
とんでもない風呂敷を広げてしまったと
戦慄しています。

とてつもなく高い山への登頂を
試みているように感じます。

しかし、この山の頂で
音楽といのちが
繋がり合っているのであろうことだけを
信じていたすら勉強しているのです。

年齢的なものも考えると、
僕の人生最大の偉業かもしれない・・・(笑)